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2004年 9月 3日(金) ネパリ・ムスリムの賢さと、食の幸せ

(ナマステ!掲示板より)

みなさまへ

ありがとうございます。サイト管理をしているPCが手元になく、物理的にサイトを更新出来ない状態が続いています。日本にネパールの姿をお送りする仕事をしており、個人の立場としてサイトに記事を書けない(職業倫理)こともあります。

ネパールの状況は、悲観的な現状がありました。でも、

1.ネパールを宗教紛争の戦場に「しない」ための努力が続いています。

傷ついた人たちが、傷を更に大きくしないように、勇気を持った行動をしています。やはり、ネパールの人たちは、イスラム教徒も仏教徒もヒンドゥー教徒も「賢い」です。一部の愚かな人たちの行動を広めない賢さが、ネパールにあります。

涙が出そうに、感激しました。

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2.イナモトくん+魚介類到着

イナモト田村レストランの、料理人イナモト君が本日、カトマンズに戻ってきたのを確認しました。魚介類満載の冷凍段ボール箱も沢山ありました。

これまた、希望のひとつですね。

ばななきゃっと・かふぇの開店も、カトマンズの希望の星です。来週は行きますからね、もももももっ!




2004年 9月 7日(火) 疲れました。今日は自宅で眠れます

(ナマステ!掲示板より)

とまぁ、いろいろと波乱のカトマンズでした。

本職業務のため、この間、市内のホテルに詰めていました。カーフュー(外出禁止令)発令の日没後出歩くのはさすがに恐く、で足止めでした。昼間のカーフューは、特別許可証をもらっており外出しました。

現在のネパール。真剣に治安維持を行う場合、警察の出番は見えませんでした。仕切っていたのは、国軍ですね。市民の目につく場所や状況では、国軍は目立たないよう気をつかっていました。しかしカーフュー発令の街は市民の動きが止まり、国軍兵士が睥睨する世界でした。

先日実戦に配置された、女性兵士も頑張っていました。

許可証のチェックなど、こちらが「にこっ」と笑いかけると、女性兵士ははにかんで微笑みを返します。迷彩服を着た、野に咲く花のようでした。ちょっと「萌え」ました。

王室絡みでは、様々な噂が出ました。根も葉もない部分もあります。事実が透けて見えそうな部分もあります。何故こんな噂が、しつこく流れるのか?Watchし続けなくてはなりませんね。疲れますけれど。

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そんな中、愚息が転校することとなりました。カトマンズ近郊にある、全寮制の学校に行きます。最近カトマンズの私立学校が、郊外の環境の良い場所に全寮制の学校を建てる例が増えています。そんな学校のひとつです。

仕事が一段落した本日夕方、制服や寄宿舎で使う「学校指定」のふとんや衣類など、家族で買い物大作戦でした。

出来れば高校卒業までは手元に置いて、自宅から学校に通わせたかったです。しかし現状では、ゼネストや治安問題など教育に対する妨害が多すぎます。また、愚息が通っていた学校の、総合的治安状況など考えての、苦(にが)い決断でした。

新しい学校が、100%安全かというとそうも言い切れません。少なくとも、学校と同一敷地内にある寄宿舎ですから、ゼネストによる休校はありません。また、社会的に「必要以上に目立つ」ことを自制している学校です。愚息自身も、あの学校なら行きたい!と云ってくれたこともありました。

これ以上の愚息に対する治安対策は、インドを含む外国の学校に送ることです。でも、ネパール人の息子ですから、ネパールで教育を受けさせたいのですね。高校卒業までは。経済的にも大変ですし。でもカトマンズの治安状況を見つめつつ、もっと大変な決断をしなくてはならない日が来るかもしれません。そんな日は来ないことを、切に祈っています。

いろんな事で、疲れました。

同年代の、インドに住むインド人の友だちが急死しました。慎み深かった彼のことを、亭主と一緒に想いました。病気で入院したと聞いて、数日で逝ってしまいました。残された奥さんのこと。年老いたご両親のこと。せつないです。

どんなに苦(にが)くとも、生きていられる我が身を大切にしたいと感じました。

一晩ゆっくり寝て、また明日は元気を出します。




2004年 9月 7日(火) パソコン直りました+愚息転校

(ナマステ!掲示板より)

神さま仏さま高津さま......と、困ったときの高津さんに、パソコンを直していただきました。感謝なのです。

これから、ハード的に修復していただいたファイルの、再構築作業をします。ウェブサイト復活までには、まだ数日かかる予定です。

明日は愚息を、全寮制の新しい学校に送っていきます。カトマンズから1時間ちょっとのドライブです。

笑顔で送り出したいです。めそめそしないよう、気をつけなきゃね....(/_;)

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(ナマステ!掲示板より)

みなさん、ありがとうございます。

今日これから、愚息を学校に送りますが......実は今週の日曜日が「保護者参観日+学芸会」だそうでして、それが終わったら子供を自宅に連れて帰り、3泊4日の自宅ホリデーでした。

はははっ......すぐに一度、家に帰って来ちゃうんですね。昔、ニューヨークへの留学出発時、婚約者のリーと涙で別れ、でもすぐ、妹の結婚式で一時帰国しちゃったGOGOGOみたいですね。はずかしー(*^_^*)

最近悲しい出来事が多かったですが、みなさんのご声援、じわっ、とうれしかったです。ありがとう!




2004年 9月 8日(水) めそめそする暇なく、愚息送り出し

(ナマステ!掲示板より)

息子を全寮制の学校に送り出す日。出がけに、10年近くお世話になっている我が家のディディ(家政婦さん)に、台所の隅で泣かれてしまった。こんな風にわが愚息のことを思ってくれている人に支えられてきたんだね、我が家。

朝イチ、愚息の新しい学校に提出するための「健康診断書」作成のため、かかりつけのクリニックに行く。大〜好きなバスネット先生のところ。

血液検査なども完了し、書類が出来たのが正午。その後、(別の家で暮らしている)ウプレティの母の家により、息子の門出に祝福をもらう。おばあちゃんにとって、一番可愛い孫であるが、離れて暮らすことを悲しむのではなく、新しい学校に行くことを喜んでくれた。この母の理解が、我が家にとっては何事にも代え難いのだ。

カトマンズから1時間のドライブで、愚息の新しい学校に着く。以前の学校からこちらに転校した友だちも何人もいる。以前の学校からこっちに来ている先生もいる。つーことで、新しい環境ではあるが、再会を喜び合う感じで不思議だった。

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ところで愚息の転校の理由であるが、治安問題もある。これから状況が「より」悪くなる可能性はあっても、すぐに良くなるとは、ちょっと考えられない。

しかしこの他に、両親が家庭で勉強を見てやらないと「ついていけない」ということもあった。もちろん子供が超優秀なら問題ないのだけれど、私たちのガキでございますから、存分にアホでございます。

我が身と息子を顧みず、無理して入れた学校で、中学1年でシェイクスピアを勉強されては。しかも英語。お母さん、古典英語など教えられません。

つーことで、寄宿舎でも家庭教師が勉強を見てくれる全寮制の学校にお願いした次第。カトマンズの私立学校の場合、小学校高学年からどんどん勉強が難しくなる。共働き家庭の場合、子供の勉強を見きれなくて寮に入れる家庭も多い。我が家もそれだった訳で、運良く良い学校が受け入れてくれてラッキーだった。

総合的に考えて、新しい環境の中、愚息が幸せな学生生活を送れることを祈るばかり。

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寄宿舎に荷物を運び込み、校長先生にも挨拶をして、しばしのお別れ。最後の最後になって、亭主の方が「離れがたい」表情を浮かべた。その瞬間、息子もナーバスに。

「さっ、行くからね」と、私がさらりと亭主を促すのと同時に、先生が愚息にも「さあ、お茶の時間だよ。先生と一緒に行こうね」と助け船を出してくれる。

あ゛ーーーっ、私がおセンチになる時間がなかったじゃない!

でもまあ、また日曜日に学芸会で会える訳だし。まっ、いいか。家に帰り着き、それでもさすがに疲れがドッ。今日は寝るべぇ。




2004年 9月 9日(木) 悪いことがあれば、良いことの兆しもある

今日の朝食、亭主がダイニングテーブルの、「いつも息子が座っていた場所」を、ちらちらと眺めていた。ネパールのお父さんって、心優しいんだよね。

さて、朝イチから某記者会見。いつものモハシン情報相(政府スポークスマン兼務)ではなく、ウパディヤ観光相。ウパディヤさん、こちらが質問したことに的確に答えてくれる。うむ。こういう大臣は好印象。

訳の分からない巨大訪問団を率いて、インドを公式訪問中のデウバ首相であるが、閣僚の中には優秀な人材がいるんだよね。誠実な人柄の政治家もいる。しかしこういう優秀・誠実な政治家でも、御しきれないネパールの現状がある。

いや。どんな状況でも政府というのは、国民の生存権と、対外的国の威信を確保すべきなのだ。現在のネパールに、そういう意味での政府はあるかな?って問題は、みんなが個人で考えればよいことだよね。

さて、最近頭と心の痛い出来事ばかりであったが、この秋〜冬に向け、ちょっと楽しいことも出来るかな?出来たらいいな......って、そんな兆しが見えてきた。

「おかーさんも頑張るよ!」って最近、サイバラ毎日かあさんに影響され過ぎか?

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ところで、最近出会ったネパール人ムスリム重鎮の言葉が心に残っています。

「あなた(私に対して)はイスラム教徒ではないけれど、アッラーの神はあなたの神でもあるのです。アッラーはムスリムである私たちだけでなく、宗教に関係なく、全ての人々を見守ってくれる存在です。あなたにも、アッラーのご加護がありますように。イスラム教は平和のための宗教です。寛容な心の宗教です」

よき人間性としての「慈悲」=宗教に関わりない普遍的「慈悲」を説く、ダライ・ラマ猊下のお言葉を思い出しました。




2004年 9月10日(金) 心がついて行けない、ネパール

嵐のような騒乱が(一応)落ち着き、愚息が寄宿舎に入って、とにかく「次の一手」を考えられる状態となった。そうしたら昨夜は、急にどわ〜っと熱が出た。

今朝には治っていたが、やはり疲れていたのね。日本でいたときのような「ハードワーク」もしていないのに、何とも情けないね。

今日は金曜日。毎週楽しみにしている Nepali Times が届く日。今週号冒頭は、ネパール首相として隣の超大国インドを公式訪問中のデウバ首相。ニューデリーで出迎えたインドの外務国務大臣+デウバ首相+アラジュ夫人+デウバ・ジュニアのジャイビールシン・デウバ君の写真。ここで感じたこと.....

1.首相の出迎えなのに、国務大臣という「とほほ」

私が云うまでもなく、外交とは「序列」である。国の大小があっても、一国の首相が公式訪問したのだから、インドもシン首相が出迎えて不思議ではない。最大限譲歩して外務大臣。外務「国務」大臣というのは、日本語で言うと「副大臣」というか、英語で言う「ジュニア・ミニスター」だよね。

今回のデウバ首相の訪問は、インド政府からしてみれば「その程度」ということ。

2.なぜ、ご子息まで?

私が云うまでもなく、外交には「夫人」の存在が必要である。今回もアラジュ・デウバ夫人は、インドのマンモハン・シン首相夫人との間で「夫人外交」を繰り広げ中であろう。アラジュ夫人は博士号を持つインテリであり、ネパールのヒラリー・クリントンという感もある。ご亭主の政治手腕を、ビル・クリントンと比べるのは「酷」だけれどね。アラジュ夫人の同伴は、順当というか、当然だろう。

しかし、なぜ、息子まで?晩婚のデウバ夫妻。一粒種のジャイビールシン君は、小学校高学年かせいぜい中学生。子供だよね。

つい先日ネパールが国家的ダメージを受け、宗教対立の危険性を、民衆の賢さ(政府の賢明さではない)で回避したばかり。しかもインドとのトップ外交では、いろいろときな臭い話し合いもある筈。そんな場所に、ガキんちょを連れて行くか?

子息に対する帝王学教育だとしたら、メディアに露出する写真撮影の時だけでも、ご子息は別の場所に離しておく事も出来たろうに。なぜなら、今回の公式訪問は「家族旅行」ではない筈だからね。

この写真を見たネパール国民が「どう思うか?」を考えられる人材が、デウバ首相の周囲にも「いない」というのは、大変に悲しい出来事である。

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今回の訪問団は72名という「ジャンボ」であり、皮肉と批判の名手、ジャーナリスト・カナクマニ・ディクシット兄もその中にいる。

Nepali Times にカナク兄は、今回の訪問団の情けなさを報告していたりもする。編集長のクンダ・ディクシットさんとは、実の兄弟だもんね。獅子身中の虫。ははは。

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先日来、いろんな現場を前線で見る機会に恵まれてしまった。いろんな話を聞いてしまった。ネットでは書けないことも、いっぱいある。

そんな現実、とネパール社会・政治のやり方を勘案すると......心が絶望感でいっぱい。我が身と家族の安全をいかに確保するか?より真剣。

ああ、心がついて行けない。鬱、入っちゃいそう。

朝起きてから今も、ヘッドフォンでガ〜ンガン、1974AD(ネパールのおやぢロック・グループ)の「籠の中の鸚鵡」という曲を聴き続けている。ラナ将軍専政時代、詩を書いたということで獄に繋がれた詩人が、自己を「もの言う鸚鵡」「籠に繋がれた鸚鵡」になぞらえたものを、ロックにしたもの。

74ADのネパリ・ロックが、今の私には精神安定剤だったりする。「とほほ」なのだ。




2004年 9月11日(土) 美味いもの、食いてぇ〜

と、ちょっとお行儀悪い題名ですね。反省(したふり)。

昨夜、カトマンズ市内タパタリにて亭主を、夜10時過ぎまで待たないといけなくなった。じゃあ......ってことで、タパタリにある「ホテルキド」にある「イナモト田村」レストランで、ひとりで美味いもの食っちゃうもんね!と、残業を終えた夜8時過ぎ、事務所から直行した。

現在イナモト田村レストランは、バンコク直送「海鮮メニュー祭」中。、海鮮丼、鰻丼などなど、特別メニュー体制である。そんな品揃えリストの最後に、最終兵器どーだ参ったか!的に、「海鮮贅沢海苔巻き」という、凶暴な美味しさの一品がある。

料理人イナモト君に勧められ、食べてみて......美味さに脱帽。

これでもか!というオールスター・ネタが、まったり満載の中、シソが微妙に「味の交通整理」をしている。うーーむ。イナモト君、こーゆーものをカトマンズで食べられるとは。おばさん、夢にも思ってませんでした。降参です。

長時間にわたる「亭主待ちぼうけ」が、シアワセな時間に一変した。

カトマンズのAmerican Center(小規模)爆破事件も、忘れたね。今後、米国政府のリアクションが気になるところではあるけれど。マオ討伐のため、ブッシュ印の軍隊投入!てえのを、期待している勢力もあるだろうしね。いやはや、恐ろしい。

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さて本日は、亭主の母方の伯父さんが、亡くなった伯母さんの供養のため、パシュパティナート寺院正面玄関のすぐ手前に、どでかいドゥンゲダラ(歴史的スタイルの水道群)建設中の現場を陣中見舞い。

ここはヒンドゥー国家ネパールの「国家寺」であるため、王妃を会長とする「パシュパティ寺院開発委員会」から特別の許可を得ての建設である。昔、民家や土産物屋があった地域が強制立ち退きとなり、公園再開発が進んでいる。その一環として許可されたそうだ。パンチャヤト時代、地方行政長官(CDO)として長年活躍してきた伯父さん、大張り切りで陣頭指揮を執っている。

我が家を含め、一族はみんな普通の人たちなのだけれど、この伯父さんだけ突出して出世した。伯父さんのひとり息子(=亭主の従兄弟)はネパール大蔵省のキャリア官僚で、しかも大変有名な歌手でもある。亡くなった伯母は、女流文学者であった。

この伯父・伯母・従兄弟の引き立てがあったから、我が亭主は村から出てきて、ネパールのテレビ業界に入ることが出来た。私たちが結婚する時もご家族揃って、「カーストが違うけれど、日本人だからいいじゃないか」と、応援してくださった。

ネパールの人は名を為し功を為すと、宗教的な「徳」を積む傾向がある。「得」が満ち足りてるって事もあるだろう。伯父の幸せそうな、満ち足りた笑顔は、身内が云うのも変だけれど神々しかった。

ところでパシュパティ寺院は、私はネパール人の嫁だから、それなりの格好とプジャセット持参であれば、入れないこともない。しかし入り口で「ガイジンか?ガイジンは入るな」と、守衛に呼び止められるのが不快千万。ヒンドゥー教は、まあ、そーゆーところがあるんだよね。

亭主の宗教は尊重したり尊敬したりしたいけれど、私の心のお寺は「ボーダナート」だわ。ネパールに来て、ヒンドゥーに取り囲まれて暮らして、チベット仏教徒として目覚めてしまった「困ったちゃん」なわ・た・く・し。

私が死んだら、パシュバティで焼くんじゃないゼ!ボーダナートのゴンパで、仏教徒として送るように。その後は、飲めや騒げの「精進落とし」。そこんとこヨロシク。

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午後からパタンでミーティングという亭主と、小1時間の時間を過ごすため、もももさんの「バナナキャット・カフェ」に向かうが、閉まっていた。ショック。土曜日定休だったのぉ?知らなかったよぉ〜 (T_T)

仕方なく事務所に来て、こうして日記を書いている。

ここから自宅までは、私はひとりでスクーターを飛ばす。ふーむ。帰路にあるババルマハルのフレンチ・ビストロで、久方ぶりに「ご禁制のお肉」ステーキを食べようかな?ふふっ、ふふふっ。これまた美味いんだな。じゅるり.......

家族や友達と一緒の食事も楽しいけれど、タマ〜の「ひとりこっそりご禁制破り」も、心の栄養なんだわ。私はどーせ、ネパール人の破戒嫁。

こんな私だけれど、結婚直後は「ネパール人の嫁になったのだから、一生○シのお肉なんて食べるものですか!」と、頑なさんを貫いた時期があった。でもその頃は、病気ばかりしていた。大病で1ヶ月も寝たきりになったこともあった。

人生、過剰な悲壮な我慢はいけないね。ってことを学んだ私。いい訳かなぁ?




2004年 9月16日(木) 諺で、ぽん!

ネパールは明日、ティージである。

夫の長寿と健康、成功を祈り(未婚の場合は、素晴らしい夫と巡り会えることを祈って)、ヒンドゥー女性が断食をしてシヴァ神に宗教儀礼を行う。同時に、真っ赤なサリーと金の装身具で着飾った女性グループが、無礼講!と、輪になって歌ったり踊ったりする楽しい日でもある。

前日の今日は、女性は実家に戻り、ご馳走(豪華なカレー料理や乳粥キール、お菓子)」を食べる。私も今日、ギャネソールのお父さん・お母さんの家に行って来た。亭主の実家ではなく、私のネパールのお父さん・お母さんの家。ここは姉さんたち6人姉妹+兄さん1人の女系で、女性同士みんなでわいわい楽しいのだ。お母さんが作ってくれるミルクで煮たドライフルーツ入りのお粥「キール」、美味しかった。

ティージで実家に全員集合!

この写真、中央の「お父さん」は誰か?見覚えのあるあなたは、かなりのネパール病重症患者ですね。うふ、ふふふっ。ネパールの「破戒嫁」である私にとっては、有り難い出会いで縁が結ばれた、ネパールのお父さん・お母さんたちです。

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ところで、月に1回の帰宅日で家に帰っていた愚息が、昨日の夕方、カトマンズ市内に迎えに来ていたスクールバスで、寄宿舎に帰っていった。

送りにいったら、じゃあね......と、さっさとバスに乗り込み、友だちと楽しそうにしている。でも出発の時は、わざと顔を向こうに向けてこっちを見ない。

そりゃそうだよね。中学生の男の子が、友だちの前で「母ちゃん恋しい」と泣きべそ顔を見せたら、ハズカシいもんね。ははははは。しかしおかげで、バスが走り去った後、母さんの方がめそめそしちゃったじゃないか!我が家の友人の子供も多数通っている学校だから、私の友だちに泣き顔を見られちゃったじゃんかぁ〜ハズカシぃ。

一晩寝て、今朝、ベットメイクをしている時........

「可愛い子には旅をさせよ」

と、古い諺が頭に浮かんだ。そーじゃん。そーじゃん。お気楽な母は、ぽんっ!と心が軽くなったのでR。




2004年 9月18日(土) 懐かしの想い出と、親心

昨日は大学時代の友人と、20年以上昔の懐かし+爆笑+自分がより「青かった」時代の想い出すに赤面したりする話で盛り上がった。

徳島の田舎で、堅い真面目な両親の手元で高校卒業まで大事に育てらた私。大学でいきなり、東京での下宿生活。実家での生活とは180度反対の、「自己責任による自由満喫」な4年間......だった。また東京で出会った人たちは、都会派インテリグループ、しかも年上の人が多く、もっさり田舎者な私には衝撃でもあった。

保守的、周りに同化、自己主張しないのが良い.....という環境から、心持ち左寄りのリベラル、個性を持つ、云うべき事ははっきり云うべき.....という「美意識」に取り囲まれたもんね。

それにしても東京での大学生活。毎日がお祭りのような日々だった。今ネパールで、こうして生きていけるのも、あの時の「マキシマム破天荒」があってのことだよね。血気盛んな時期、一回フルボリュームに振れた事があるかないか?いい年になって分別分かったふりして暮らしていても、心の底に「ロックンロール」があるかないか?その基礎は、大学時代に作られたもんね。

これもそれも、東京に送り出してくれた両親のおかげです.....って、自分も愚息を全寮制の学校に送り出して、はじめてより実感していたりする。子どもを送り出す時の親の寂しさを、やっと理解出来ました。父さん・母さん、その節はごめんなさい。今もごめんなさいだけど。来週は、日本のテレビに「ネパールの婿」が顔を見せますし、その次の週は娘(=私)の声が日本のラジオで聴けますし、まあ、そーゆーことで勘弁していただけましたら望外の喜びであります。お父さん、読んでますよね。

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それにしても、それにしてもでR。うちの愚息に、自分が体験したような「疾風怒濤の楽しい学生生活」を、大学卒業まで味あわせてやることが出来るように。祈るだけだ。愚息の学力+親(=亭主と私)の財力+ネパールの国の状況だもんね。国の状況がもっと乱れたら、学費も稼げなくなる可能性あるし、生活自体が成立しないことだって考えられる。心配しすぎても、キリはないんだけどね。

変な例えかもしれないけれど。不適切な例えかもしれないけれど。もしかすると今のカトマンズ暮らしって、第二次大戦前の東京の暮らしと似ているかもしれないな?なんちゅーことを、吉行あぐりさんの本を読みつつ考えたりする。まあ、私はあぐりさんしゃないし。亭主はエイスケさんほどデカダンでもないし。第一我が愚息は、淳之介先生のように優秀でもないけど......さ。

休日の今日(ネパールでは土曜日が週1回の休日)、亭主は庭木の手入れをしている。私はふとんカバーを変えたり、洗濯したり。亭主の趣味で「木張り」になった寝室の床を掃除したり。フローリングの床ってホコリが目に見えるから、ほうきをかけて柔らかい布で乾拭きしないとダメ。引っ越した当初は、亭主を恨んだことしかり。カーペットなら、ホコリが見えないからね。でも、ホコリが見えるって事は、掃除したら「キレイになった」ことも目で見えるってことでもあるね。先日、床表面の塗装を再度してもらったら、掃除も楽になったしね。

こーゆー、普通の「ご家庭の幸せ」っちゅーのも、いつまで続いてくれるのだろうか?

そう長く味わえないかもしれないぞ!と考えると、今この瞬間の時が「甘く」感じられるんだよね。こういう感覚は、現在の日本暮らしではないかもしれないね。

人生、考えようかもしれない。将来が不安だからこそ、今の気持があるのかもね。




2004年 9月19日(日) 危機管理と平和の歌と、素敵な大使

報道によれば、ネパール国内で活動中であった米国「平和部隊(ピースコープス)」が活動を一時停止し、全員がネパールから出国したそうである。また米大使館員の一部や、随伴家族の自発的帰国も本国から承認済みである。また、米国民のネパール渡航に対しても、警告を発している。

先日のアメリカン・センター爆破事件(ってったって、小規模に駐車場周辺がダメージを受けただけ。人的被害無し)をきっかけとして、米国政府の危機管理が動き出した。攻撃の規模が問題なのではなく、ネパールにある「米国政府機関」が「攻撃の対象になった」ということが問題なのだろう。

しかし上記爆破事件、未だ犯行声明が出ていない。マオ派による犯行という見方がある。一方、「米国政府による政治的介入を望む勢力」によるプロパガンダではないか?という、穿った意見が無い訳ではない。

東西冷戦時代、米国諜報活動の拠点であった(としか思えない)アメリカン・センター。時代は変われど、現在もいろいろ情報ソースを確保しているはず。また、本国の政治的態度にも左右されているだろう。

今回の米国の対応から、何をどう読み取るか?刺激的、かつ、ブル・シットなお話しである。

ところで冷戦時代の一方の雄、ソビエト連邦(当時)の諜報活動は、ロシアンカルチャー・センターでむふふ......であったと考えられている。この両方のセンターが、地理的には大変近い場所にあったりしてね。カトマンズっちゅーのは、大変に興味深い場所である。韓国と共和国の大使館も、両方あるしね。

アメリカン・センター直営の英語学校(当時)に、1年以上通っていた頃。アメリカ直送の先生たちと仲良くつきあっていたけれど、親チベット派米国民が多かったもんね。「ああコイツは阿呆なふりをして、実はインテリジェンス(いろんな意味でね)じゃな」という御仁もいて。そういうメリケンさんたちとビールを飲みつつバカばなしをするのが最高に楽しかった。英会話の練習にもなったしね。ははははは......

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ところで先日、日本人会からEメイル・アンケートが送られてきた。

日本人会には、普段から大変お世話になっている。本職業務だけでも大変な理事さんたちの、不断の努力には常日頃から頭が下がることばかり。また日本大使館、特に領事部のみなさまにも助けていただくことばかりなのは、何度も日記に書いている次第。重ねて感謝したい。

と、きちんと前置きしてから、さあ書くぞ!

質問のひとつに、大変衝撃的なものがあった。

電話が使えなくなった場合、移動の手段が確保されていることを前提に、最終的な集合場所は「日本大使館」が前提であるが、それ以前のお近くの連絡所としては、下記のどこが便利ですか?という内容のもの。

これって、市内の電話回線が使えなくなる程の混乱状態になったら、日本大使館目指して避難してきてくださいねって.......ことですよね。

おいおい。いきなり大使館に......とか云われても、どーするの?こういう事って日本人会じゃなくて、まずは大使館領事部から在留邦人全員に(日本人会に入っていない人もいる)説明があって然るべきじゃないかな?

日本大使館として=日本国政府として、邦人保護・危機管理のポリシーを説明してからにしてほしい。大使館に全員集結したとして、カトマンズ市内が大騒乱状態であった場合、建物と中にいる日本人を誰が守るのか?日の丸印の自衛隊は来てくれない。ネパール警察じゃあ頼りにならない。王国軍がきちんとガードしてくれるのか?緊急時、館内の水や食料の確保態勢はどうなっているのか?

例えば米国大使館であった場合は、大使館のヘリポートに米国軍のヘリがバババンと乗り付けてくれて、空港まで運んでくれる。そこには白頭鷲印の救援機があって、ガガガンと米国民を乗せて飛び立つ。もちろん、屈強+フル装備の米国軍人エスコート付きだよね。だから、緊急時はエンバシーにカモーン!と云える。

って、単なる妄想?

「ニホンジンはネパールのトモダチです」

つー論理で、いきり立つ修羅場を切り抜けてきた私ではあるが、そのトモダチ論理が今後も使えるかどうかについては、先日のカトマンズ騒乱以来、実は大変に不安なのだ。スルドく指摘してくれた人がいて、いろいろ考えているのだ。

人一倍、内心ビビっているから、罪のないアンケートに噛みついているのだろうね。でも、まずは大使館が「緊急時のポリシー」を在留邦人に説明し、理解してもらう。具体的なシュミレーションを行い、必要ならば予行演習もする。その上で、在留邦人の親睦会である日本人会は、町内会的なお手伝いをするってえのは、正論だと思う。

「避難場所は大使館」「委細は政府に任せてください」って、信頼してますよ。でもね、まずきちんと説明してくださいってこと。

政府や行政が当てにならないネパールで、ネパール人家族といろんなものを見てきたから、ひねくれたのかな?わ・た・し。1万人以上の国民が命を落としても、対応しきれないネパール政府。12人の人質を、イラクから救えなかったネパール政府。そんな政府と、我が日本国政府を一緒にして考える訳じゃないですが。

日本大使館は、私たち邦人保護に日夜心を砕いてくださっている!という信頼感をベースに、ついついこーゆーことを書いているのだ。ちゅーことを、既に大使館や日本人会には伝えてあって、後日の感想としてここにも書いている。

参考:
在ネパール日本国大使館による安全マニュアル
http://www.pubanzen.mofa.go.jp/manual/nepal.html


在韓国日本大使館+ソウル・ジャパン・クラブによる安全マニュアル
http://www.pubanzen.mofa.go.jp/manual/seoul.html

後半の「緊急事態対処マニュアル」は具体的且つ、大変参考になる。必見です。

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Moments of BLISS全然話は変わるが、昨夜「平和を歌うアニ(チベット仏教の尼)、チョイン・ドルマ」のコンサートがあった。場所は、ケサルシャムシェル・ラナ大尽が造営した歴史的名園「夢の庭園 Garden of Dreams」。

うふっ、ふふふ。と、夢のような楽しい時間であった。ライトアップされた「ラナ庭園」の中、アニの歌が心をふるわせた。ネパール語の歌詞がまた美しく、ぽろっ....と、目から汗が流れたね。アニについては後日、別途ご紹介の予定。我が亭主制作の、平和を願う音楽ビデオにも参加してくれていて、ふむむなネタ満載っス。

乞う、ご期待。

スノッブなネパール人、チベット人、カトマンズ在住の西欧人全員集合的なコンサートで、日本人の方はひとりだけお見かけした(他にもいらっしゃったと思うが、暗かったので失礼)。その方は、神長大使である。さすが。ネパール文化だけでなく、アジア、中東、西欧文化に造詣が深い大使でいらっしゃる。

もうすぐご帰朝だと伺っているのは残念だが、これからもネパールの事を忘れないでいてくださると想う。神長大使、これからも宜しくお願い申し上げます。




2004年 9月23日(木) 美味しいぞ!カトマンズ

9月21日、夕方からボーダナートが灯明でライトアップされる......と聞きつけ、亭主はビデオ、私はデジカメもちろん三脚持参で駆けつけた。

慈悲のまなざし

ワールド・ピース・ディの一環だそう。ライトアップされ、闇夜に浮かびあがったボーダは、いつにも増して素敵な電波がびんびんび〜んだった。

建物の屋上から全体像を撮ろう......と、某屋上テラス・レストランに出向いたら。あれ、まぁ、もしかして?薄暗いテラスの隅で、カメラを構えているあなたはもしかして?と、日本からネパール来訪中の某氏と、ばったり出会ってしまった。

なんちゅー偶然!だからカトマンズは「怖い」んだよね。出会っちゃうんだから。早速翌日、パタンのオアシス「ばななきゃっとカフェ」にてランチのお約束。この際だから、と、盟友のび太くんにも誘いの電話を入れる。当日朝、某M姉も参戦(?)してくれることとなり、不思議な4人が顔を合わせることとなった。

ネパール情勢と周辺諸国の関係など、M姉のズルドい分析に耳を傾ける。のび太君は、ややお疲れ気味。某氏と、カフェで偶然一緒になったK姉のカイラス話も面白い。来年こそ!私もカイラス「罪滅ぼし」巡礼だぁ.......

来年の自分、どうなってるんだろう?ネパール次第なのが、悲しくもせつない。

智慧の灯火

この日、ばななきゃっとランチは「グラタン」。デザートは、なななんと、手作り「クリームあんみつ」であった。あんみつで悶絶。dZemaもそうであったが、ばななきゃっとでも、もももさんに絡め取られて掌中に落ちちゃった......感がある。

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と、そうこうしていると携帯がぴろろん♪と鳴り、これまた日本から来訪中の(別の)某方からランチのお誘いがあった。

本日お昼は、パタンの憩いスポット「だんらん」でランチと相成った次第。ここの「オムライス」が、私は大好物なのだ。「ミキさん、この間もオムライスでしたよね」と、オーナーのSさん、記憶力もバツグン。だって、だんらんのオムライス、ふわ〜っと幸せな味がするんですもの。今日も脳天に、幸せ感が満ちてしまった。ありがとう。

イナモト田村では豚の角煮、だんらんのオムライス、古都の天丼、シェス・キャロリンのステェキと、行くレストランによって食べるものが固定化している私であった。おっと、カフェUの日替わりランチも忘れちゃいけないゼっ。

ランチの後、デザートはどうしましょうか?という話となった。だんらんとは至近距離にあるばななきゃっとカフェに行きましょうよ。と、提案し、某氏をはじめ皆様を誘導してしまった。「えーっ、こんなところにこんなお洒落なカフェがあるの?と、大変喜んでくださった。

ガトーショコラのアイスクリィム添え、美味しゅうございました。

いろいろ、もろもろ大変なネパール。その首都カトマンズと、隣接するパタンには、社会不安にも負けない、活きのいい「お洒落で美味しい」スポットが、近年急増中。

ああ、いろいろあっても、やっぱりカトマンズ暮らしはやめられないだわん♪

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さて昨夜は、亭主たちが制作している「平和を願うミュージック・ビデオ」の夜間撮影に参加。ギャラリーとして写真撮影して遊ぶ予定が、サウンド・トラック係としてばっちり仕事をさせられる。まあ、ちょっと予想はしていたけどね。

Ani と Nima歌う尼さん、アニ・チョイン・ドルマさんと、ニマルンことニマ・ルンバちゃまの撮影だった。来週月曜日には、大御所の撮影もある。ビデオ完成後は、いろんな場所で紹介したいな!と思う。

撮影は深夜に及び、家に帰ったのは丑三つ時午前3時半。シャワーを浴びて爆睡。

今朝は眠い目をシャワーで覚まし、ラジオ・レポートの原稿最終稿を作成。9月27日の月曜日早朝、日本の空の下に不肖わたくしのダミ声が流れる予定。

食いしん坊万歳!な、ドラえもん体型な私に、いろいろ発信の場を与えてくださる皆様に感謝.......なのです。

ところで先日の「亭主レポート」の感想が各方面から届いている。真夜中の時間に、わざわざ見てくださった皆様に感謝しています。ありがとうございました。

そんな中に、実家の父から「婿殿が大変太ったように感じるが、定期的に健康診断を受けるなど健康管理に注意しておるや否や?」というご指摘があり、我が父ながらそのスルドさに大〜いに同感。あっ、私も健康診断受けなきゃね。

いつまでも、美味しいものを食べられるためにも健康第一。




2004年 9月25日(土) ホームシックと朝寝坊

先日木曜日、全寮制の学校に送って2週間の愚息は、カトマンズ市内の別の学校に、バレーボールの試合で来ていたらしい。そういう時は学校から、バスで全員やってきて、またバスで帰っていく。保護者に知らされることは.......ない。

ただ今回、試合に来た学校には愚息の従姉妹が勉強している。この機会、逃すべし!と息子は、阿呆な頭を全回転させたようで、「これ、ボクの家に」と、従姉妹に手紙を渡したんだな、こりゃ。

手紙の内容は.......

大好きなお母さん、お父さん。みなさんお元気のことと思います。でも、ボクは元気ではありません。ホームシックで泣いています。

構内で車の音が聞こえたら、あっ!ボクの家からお二人が会いに来てくれたんじゃないかなと、毎回窓の外を見つめています。これは冗談ではありません。何回かは気持ちが押さえきれず、泣いてしまいました。そんな時、友だちが慰めてくれます。

もしボクのことを愛しているなら、来週の月曜から金曜の間に学校に来てください。

(中略 この部分に、親友が2人出来たとか、いい知らせ)

お母さん、お父さんのたったひとりの息子より

どっひゃ〜っ!可愛い子には旅をさせろと云うけれど、家にいた頃は「文章は必要以上に短く」「自分を表現するのはド下手で」あった愚息が、よくもまあ、こんな「ぐっ」と来る手紙を書けたもんだ。しかも、大変長い手紙。ひゃ〜っ、上出来じゃ。

と、喜んで横を見たら.......亭主がどよ〜ん!と悲しさ全開の顔をしている。ははははは。我が家は父ちゃんの方が繊細で、母ちゃんは大ざっぱ。でもまあ、ちょっと心配で、金曜日学校に電話をしてみた。そうしたら、先生いわく.......

1.愚息は元気で、友だちと元気に、特に得意なサッカーでハッスルしている。
2.この週末は学校行事がある(だから月曜以降に来いってかぁ?)
3.会いに来たり電話で話すより、長いE-mailで返事をするのがお勧め。

つーことで、さっそく亭主+私+うちの書生がそれぞれにメイルを書いて送信。長い手紙がいい......とのことだったが、亭主はちょっぴりしか書かない。まったく、ヤツ(=愚息)の自己表現下手は、父親譲りなんだから。もう!「おかーさんは、ながーーく書いてね」と、亭主に云われなくたって、書きゃいいんでしょ。ぷんぷん。

ネパールで教育を受けている息子へのメイルなので、当然英語って事になる。日本の教育で育った私に、それは酷なお仕置き。でも、やるっきゃない。

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そんなこんなで花金に疲れまくり、本日土曜日、ジェット機の爆音で目が覚めた。

我が家は、カトマンズ空港着陸経路の真下。寝室の窓から、寝ぼけ眼にタイ航空機のテイル・マークが見えた。はっ、つーことはもう、昼間の12時過ぎ!

爆睡+寝坊してしまった。

亭主は早朝から庭仕事に汗を流していたそうで、起き出した私の顔を睨みつけている。ははははは。ゴメン、ごめん。

それにしても、ネパールで子供を学校に入れると、英語が親にもついて回る。学校からのお知らせも英語。学校にお願いをするのも英語。嗚呼、つらい。

ネパール人との結婚を目指し、かつネパールに移住予定の皆様。英語はしっかり勉強しましょうね。もしくは、英語が堪能なネパール人をゲットしませう。

くれぐれも、くれぐれも..........




2004年 9月28日(火) ルークトゥン・ドリーム!

今日明日は、マオバディの呼びかけによるバンダ(ゼネスト)。車が動かせず、事務所まで歩いていくと片道2時間弱。仕方なく自宅で仕事をしている。

ながら族の私は、NHKの海外放送TVをつけっぱなし。「地球ウォーカー」という番組で、タイの歌謡曲(の一種)である「ルークトゥン」の大スター、アパポーンさんとその一座が取り上げられていた。

ルークトゥンというのは、タイの田舎からバンコクにやってきた「田舎出身」の人たちが、「大都会」で「様々な苦労」に直面しながら「前向きに、ひたむきに頑張って」いる様子を、「切々と演歌チックに」また「明るくコミカルに」歌い上げた楽曲+ミュージック・ビデオで大人気。

昨年日本に行く時バンコクのホテルで、このルークトゥンのビデオを見つけてしまい、深夜テレビで延々と見てしまった。

私が一番覚えているのは、田舎から出てきてクリーニング店に勤めながら大学に通っている女性の歌。彼女の店を利用するひとりの男性に淡い恋心を抱くが、彼には幸せなな家族と素敵な家がある既婚者。「ああ、わたしもあんな幸せをつかみたい」と、想像を展開させつつ仕事と勉強に励む彼女。

クリーニングを届けに行った時の、彼の素敵な笑顔。しかも嫁も親切。子供も可愛い。夜大学から帰ってきた時、車で通りかかった彼が家まで送ってくれる。ああ、素敵な人。

そして大学を卒業する日が来た。彼女は卒業証書を片手に、クリーニング店と住み慣れたアパートを後にする。彼や彼の家族ともお別れ。でも想い出は胸にある。

いつか私も、彼のような素敵な男性と幸せを築いてみせるわ!彼女の背中がそう語っていた。

つー内容の歌(だったはず)。私、タイ語は分からないけれど、ビデオから想像するにそんな歌であった。

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大スタァであるパポーンさんのバックダンサーを勤めながら、大学に通っている(アパポーンさんの)妹。彼女のきょうだいは全員小学校しか通っていない。だから、家族全員の願いを適えるため、大学卒業を目指している妹。

妹の大学卒業は、大スターとして成功したアパポーンさんの夢でもある。

また、一座でダンサーとして活躍するひとりの青年は、ルークトゥンの歌手として成功するため、地道に精進している。アパポーンさんの後押しで、前座歌手としてステージに立つも、緊張しすぎてキーをはずしてしまう彼。

番組取材ってこともあって「初めてのチャンス」を彼に与えたのかもしれないが........それにしても「ぐっ」と来てしまったな。

アパポーンさんだけでなく、ルークトゥンは「伝統歌唱法」で、風に絹の薄布がたなびくように朗々と歌い上げなくてはならない。高度なテクニックと、ハートが必要なんだな。

15年来、タイ・ポップの帝王、バードことトンチャイの大ファンな私(トンチャイはゲイ系、天才エンターティナー。映画クーカムで演じた、心優しき帝国軍人・小堀陽一少尉にもシビレたわ)。しかし次回は、ルークトゥンのDVDも仕入れてこよう。

ルークトゥン、タイ語が分からないとCDだけでは辛いけど、映像込み込みで見れば楽しめる。かなり「ダサい」んだけれど、歌のうまさとハートについつい、心が「きゅん!」としてしまう.......私って、変ちゃん?????

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ルークトゥンのことなら、「ルークトゥン・タイランド」さんへ。