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2004年 4月 3日(土) 暑い季節になってました (T_T)

とまぁ、ちょっと出張してました。亭主の会社の仕事で、シンズリまで。最善の移動方法を採ったにもかかわらず、ネパールの家族(亭主の母や妹家族)が心配して大変でした。いやはや、ちょっと連絡出来ないと、ウプレティ家は大騒ぎ......

さて、昨日の夕方カトマンズに戻ってみたら......治安部隊とデモ隊衝突。ゴム弾、催涙ガス、警棒振り下ろしで100人の怪我......っちゅー事態になっていた。政党側はこれに抗議するため、急遽本日のバンダ(ゼネスト)を宣言。嗚呼。

今日は午後4時から、バグバザール周辺でデモと集会。大規模な衝突はなかったものの、まあ、デモ隊のシュプレヒコールの内容が、ちょっと、熱すぎ。現体制への非難も、ここに至れりか。このままドドドッと行っちゃうのか?そうなると、死人が出るぞ。政府を批判するのは大丈夫でも、あのご家族を非難すると。国軍が出てきたら怖い。そして市民が本当に怒ったら、もっともっと怖い事態になる。

ネパールという国の存在が.......揺らいでいる。

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しかしまぁ、「よい子の外人旅行者」にしている限り、まあ普通の旅行は大丈夫。今のところご心配なく。信頼できる日本の旅行会社を通じて、またはネパールのしかるべき旅行会社にお願いして、ネパール旅行を満喫していただきたい。

学生さんの春休みももうすぐ終わり。スタディツアーも、まあ、一部ローカルバス事件などあったけれど、けが人もなく一安心。

受け入れるネパール側が「無謀」だったり、押し掛ける(失礼な表現ご容赦)日本側の先達が「蛮勇」だったりして、縁の下で大変な苦労をされた方たちのことを、私は想う。おつかれさまでした。ありがとうございました。

今回無事だったから、次回も大丈夫......ではないんだよな。何回ネパールに来たことがあっても、状況判断は(所謂)ガイジンには出来ないんだよね。だからこそ、旅をアレンジしてくれる現地の人たちが大事なのだ。また何かあったら、カトマンズにある日本大使館の皆さんが走り回られていること、忘れないでいてほしい。

明日もまた抗議行動は続く。そして今週はマオ派の呼びかけによる、3日間のバンダ(ゼネスト)もある。いやはや、いやはや、いやはやである。




2004年 4月 4日(日) 世間は大変、でも花咲く季節

4日間ほどカトマンズを留守していました。

シンズリにて

とまぁ、旅先では「仲良し夫婦」を偽装しつつ(?)、亭主の仕事を手伝っておりました。日本の、ネパールの皆さんの「人の情け」に助けられ、大変気持ちよい仕事をさせていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。

カトマンズに戻ってみたら、大変な事態になっていたのは昨日の日記の通りです。

それでも日常生活は、今のところ変化ないカトマンズです。通常のご旅行は、信頼できる旅行会社を通じて手配したものなら心配ないでしょう。

ただし、バンダと呼ばれるゼネストの日、デモや政治集会の外出には注意を払ってください。反政府デモ隊と、政府支持派の暴力的衝突も散発しています。治安維持部隊が催涙弾を発射して鎮圧という事態も起こりえます。ゴム弾も使用される可能性があります。運悪く頭部に当たれば、大変です。

外国人がターゲットになることは考えられませんが、デモ見物をしていれば、巻き添えになる可能性があります。いろんなネパールを「見たい!」という気持ちは分かりますが、くれぐれも我が身を大切にしてくださいね。

ハイビスカス、咲いた

と、暗澹たる気持ちでいましたら、自宅の庭にハイビスカスの花が咲いていました。横を見ると、バラの花も咲いています。いい香りのする、チャメリのつぼみも見つけました。金柑の今年の葉っぱも多数、もにょもにょ出てきています。

身近な自然の姿に、癒されました。




2004年 4月 5日(月) 今日は平和に終了、カトマンズ

カトマンズ盆地内の今日は、反政府5政党による路上集会は混乱なく終了。治安維持部隊は昨日までの「強硬路線」が国民から不評であるため、戦略変更。

また5政党側も、集会時の統制がとれてきた。治安部隊に対する無用な挑発を押さえる、政党活動家によるボランティア部隊を組織して当たっている。

バグバザールとラトナパークの交差点
(写真提供 The News Nepal P. Ltd., Kathmandu)

それにしても、一口に「治安維持部隊」と云っても、それが「警察」なのか「武装警察」か。それとも「国軍」なのかで緊張度が全然違ってくる。

現在のところ、警察と武装警察がカトマンズ盆地内のデモ・集会に対する治安維持に当たっている。両者の場合、政府内務省のコントロールにあると考えて良い。政府の意向で動いていると思われる。

一方、事態が最高に緊張してくると、国軍が路上に立つ。国軍は......政府の意向とは別の系統であると考えるのが現実的。強力な武力を持つ国軍は、その気になれば何でも出来る。またその「忠誠心」を捧げる先は、政府ではなく「国体」である。国体は......現在のネパールでは国民なのではなく、国王である。

警察は市民に発砲する時、急所を狙わないという不文律がある。しかし国軍は、命令が下れば、水平に銃口を構える事がある。

今日の警察部隊、現場の司令官氏はじめ、リラックスムードが漂っていた。

しかし国軍が出てきたら、軍は現場では常に緊張している。2001年6月、あの王宮事件の直後、カトマンズ市内の要所は国軍が警備をしていた。三脚にマシンガンをセットし、水平照射の準備をして腹這いになってスコープを覗く兵士さえも見られた。

現在のにらみ合いでは、警察部隊が路上にいる限り、デモ隊はそれほど恐れない。しかし、もし国軍が出でてきたら、ゴム弾や催涙ガス、放水だけでは済まなくなる可能性がある。武力で市民は、国軍には勝てないだろう。

もし国軍が、武力で市民を押さえる状態になったとしたら......考えたくもない。

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さて、ネパールの政治勢力に対する国民の評価は、「絶対的」なものでなく「相対的」なものでしかないと思う。

かつて選挙に基づく政党が政府にいた頃、与党は数々のスキャンダルを抱え、野党はそれを攻撃する。しかし野党も政権につくと、スキャンダルを露呈させるという繰り返し。1990年の民主化前は、国民のヒーローであった政治家たちは地に落ちていた。もちろん、数少ない例外として、市民から尊敬されるグループもあったけれど。

国民は政治家や政党に失望し、その結果、故ビレンドラ国王の評価が高かった。シーソーの原理。ギャネンドラ国王が即位した時、シーソーの新国王側を「ドスン」と落とすほどの力も、政党側にはなかった。反政府武装組織との衝突で、国民の生存権が脅かされているにもかかわらず、国民に顔を向けない政治家たちの存在で、ギャネンドラ国王側のシーソーは、ある程度安泰であった。非常に相対的。

その状態が崩れたのは、2002年10月4日。国王が首相を更迭し、憲法の非常事態の条文下、政治の全権を握った事による。その後2人の首相を国王は勅任した。もしこの首相たちが、現状を良くすることが出来、速やかに総選挙を実行し、民主政治に戻ることが出来たら。ギャネンドラ国王は、後世に残る偉大なるヒーローになれたのだが.......そうはならなかった。

5政党の党首たち
(写真提供 The News Nepal P. Ltd., Kathmandu)

現在、シーソーに座った国王の位置が、徐々に、でも日に日に確実に下がりつつある。それに反比例し、政党政治家たちは「民主政治を要求して身体を張って」、デモ行進の先頭に立っている。有力政治家が負傷する事態が起こっているが、ここで踏ん張らねば政党側が「浮かぶ」チャンスはない。ラストチャンス。

そんなシーソーゲームを、国軍とマオ派が眺めている。かつてマオ派は、和平交渉というシーソーに乗る時期、飛び降りる時期を利用してきた。

現タパ政府は、もう.....シーソーから転げ落ちてひっくり返りつつ、それでも鼻の穴を広げて虚勢を張っているとしか考えられない。論外。

この国全体、国民すべてが「浮かぶ」ためには、政党、政府、国王、マオ派、国軍すべてがシーソーを降り、ネパールの大地に足をつけて向き合うべきなのである。現在のネパールには、「絶対的」な平和と民主主義の再構築が必要だ。

相対的平和や民主主義は、そろそろ終わりにしたいのだけれど。もう過去のことを穿り返すのは止めて、前を見ようよ。だって、この国を造るのは、政党であり政治家であり、国民であり国王であり国軍であり、マオ派なんだもの。みんなネパール人。

ネパールは、やっぱりネパール人の手で造り上げるしかないんだもの。




2004年 4月 7日(水) 史上最強の庭師登場

1月末に移ってきた家。今度は一軒家であり、狭いながらも庭がある。ガレージの横には花壇もある。アパートに住んでいた頃、圧倒的に場所がない+日当たりが悪いで苦戦していたガーデニングを再開するに、絶好のチャ〜ンス!

以前に住んでいた人が残していったバラやハイビスカスなども植わっている花壇に、まずはナデシコとマリーゴールドを植えた。ここが愚息の「サッカーボールの被害」を受けたことは、以前にも書いた通り。めげずに手入れをしていたら、元々あったハイビスカスの花も咲き出す。あまり期待していなかったバラも、ピンクの大輪の花が次々開花。アパートのベランダでしょぼくれ、冬葉を全部落として「死んだふり」していた、我が鉢植えハイビスカスちゃんも芽吹いてきたので、花壇に移植する。

さて、猫の額の庭をどうすんべー?と考えていたら、亭主が何と、花や低木の苗を買って来た。3日間のバンダ初日であった昨日、亭主は「今日は仕事休み」と宣言。我が家に住み込みの書生君2人を陣頭指揮し、自分もツルハシ握って庭仕事。

最強の庭師は......我が亭主であった。ビクーリ (^_^;)

掘り返した土に鶏糞や肥料を入れ、苗を植え付ける。元の住人が捨てていった植物たちも、庭に移植した。丸一日、家族全員土方仕事に汗を流す。庭にはまだまだスペースがあり、バンダが明けたら花の苗をいっぱい買ってきて植えようね.....などと亭主と、「柄にもない」会話をしているのが不思議だった。

裏庭にはキュウリ、カボチャ、ヘチマなどの野菜も(亭主の趣味で)植えた。また、グアバなどの果樹も。私が育てていた金柑やアプリコットも、新居に移ってから元気を増している。今年はちゃんと実るかな?

夕方、庭に椅子を出して、夫婦でお茶など飲んでしまった。蚊取り線香焚いて。

今年の秋くらいには、写真をUP出来るような庭になるかな?そうなればいいな。あじあ食堂@netのサフニ園芸道先輩、頑張りますですぅ〜




2004年 4月15日(木) 電話が我が家にやって来た〜ヤアヤアヤア!

引っ越した自宅、電話回線がなかった。以前、アパート時代に設置していた電話の「移転」申し込んだが、近所の交換機に空きがないと、テレコム公社に断られていた。

電話のない場所には住めぬ!と、インドとネパール合弁の民間企業による、WLL無線電話を買う羽目になった。これは電話機にアンテナがついており、無線(コードレス)でカトマンズ盆地内ほぼどこでも通話が出来るというもの。民間だけあって、申し込むと即日電話がやってくる。つーか、アンテナ付きの電話セットを買う感じ。

通常の声の通話は問題ないが、現在、ネット接続のためには使えないWLL無線電話。ここ2ヶ月ちょっと、ネットもメイルも事務所でしか出来ず、各方面にご迷惑をおかけしてきた <(_ _)> 自分自身も「不便」であった。

さて10日ほど前、空きがない筈の交換機に「魔法」を使ったのか、空きが出来た。こう云うところは、コネっちゅーか、友人関係で何とかするのがネパール。メディアの仕事をしておきながら、自宅に「テレコム回線」が引けないなんて、誇り高き亭主殿には許せん!事態であったのね。まあ、キャンセルした回線だとか云々、交換機内部の整理をすれば何とかなるんだけれど、そういう手間を「やっていただける」か否か?っちゅーのが、難しいんだな。民間会社では考えられない怠慢だけど。

ネパールでは、お金を払えば「当然受けられるべきサービス」を受けるためにも、コネとパワーが必要。疲れる国である。

でもって、実際に自宅まで「電話線」が来るのがまた......毎日工事セクションに足を運び、お願いを続け、明日ね、明日は祝日だから明後日ね......と、延びて延びてやっと昨日、ゲ〜ット。めでたくおうちでネット出来るようになった次第。

無線LANによるブロードバンドが始まったけれど、値段が高すぎて手が出ない。現実的にはダイヤルアップ接続しかない。テレコムの電話回線は、ネットの必需品。

ところでネパール新年4月13日から、ネパール・テレコム公社が民営化された。まあしばらくは、基本的なサービスは変わらないだろう。出来るだけ早く、民間がもっと大規模に参入してほしい。競争原理がないと、サービスは向上しないよね。

新しい電話番号を、早速、大使館領事部と日本人会にメイルで連絡。何が起こるか分からない時代だからこそ、こーゆーことはきっちりやっておきたい。




2004年 4月17日(金) 有友、来遠方&身近

昨日、久しぶりに友人夫妻とランチ。友人は、新規ビジネス展開で大忙しの人。当方はそれほど忙しくないが、常にスタンバイ状態で落ち着かなかった。ランチする暇を、えいっ!と作り出した感じ......かな?

カトマンズ市内のなじみのレストラン「田村」。マネジメントを生まれ変わらせるべく奮闘する若者がいるんだな、ここ。挫けんな、若者。応援してるゼぃ。しかし、客の前では毅然とするんだよぉ〜。

日本語を喋りながら、ごはんを食べたのは、久方ぶり。

その後、ビサール・ナガールのドイツ−ネパール合弁のナーサリー(園芸苗店)に「ふらっ」と立ち寄ったら.......きゃ〜っ!と叫んでしまう程の投げ売りセール中。いろいろあって、ナーサリーを閉鎖とのこと。それに伴う大バーゲン。

1メートルを越えるカクチョウ蘭の大鉢、Rs.250(約400円弱)など、大好きなフクシア、アマリリス、ブーゲンビリア、あじさいなど、車の荷台と座席満載どどーんと買い込んで、2,000円ちょっと。近くに住む義妹にもお裾分けして、自宅に大量に持ち帰る。

庭を見た亭主、呆れていた。いいじゃん、だって、いいじゃん。

夜は某財団からのVIPと、楽しいお話しをさせていただく。国際的活動って、やはり「プロとしてのアプローチ」と「真心ある人間性」が大切なんだな。日本でいたら会えないような方と出会え、親しくお話を伺えるというのは、外国生活の醍醐味のひとつ。

それにしても、本当に偉い方というのは、実に親切な方が多い。相手の地位だけでなく、人間としての姿を捉えてお話ししてくださる。感銘を受けた。

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本日、10年ぶりに日本からネパールに帰ってきた、日本人の友人と会った。いやはやお互い10歳年を重ねているんだけれど、気持ちは10年前のまんま。カフェUのごはんは美味しかった。デザートのシュークリームを亭主に食べられてしまったのは、ぷち悲しかったけど.......

甘いものは敬遠する敵であるが、美味しいものなら「別枠」なんだよな。

それにしても、いつ行っても「美味しい」「変わらない味」が楽しめる、居心地の良い場所というのは貴重だね。カフェU、キングスウェイの古都、シェス・キャロリンなどなど。しっかりした、心ある経営者のいる場所は、客として安心できる。

dZemaの再開は......まだかいな?待ってるよん、momoちゃ〜ん!



2004年 4月17日(金) ジャーナリスト大量逮捕

デモを取材中のジャーナリストに治安部隊が暴力行為を行ったことに抗議して、ネパールの業界人が抗議デモを行いました。そうしたら、一説によると200人....という大量のジャーナリストが、路上から拘束されタイーホされてしまいました。

うちの「シュークリーム亭主」は、本日一日中編集室に籠もっていたおかげで、無事です。しかし、仲間たち、先輩たちはごっそり連れて行かれました。

カトマンズのコミュニティFMである、「ラジオ・サガルマータ」の番組ユニットも逮捕され、拘束されている場所から携帯電話でスタジオと多元中継して、放送を敢行していたのにはちょっと感動しました。じーん、と感じ入りました。

一緒に逮捕されているシニア・ジャーナリストも、現場からの携帯で番組に参加してました。携帯電話の威力.....ですね。

それにしても、拘置所ではない緩やかな場所に拘束しているとは云え、携帯通話使用OKの状態であると云うところに、ネパール治安維持の「いかにも」ネパールらしい大らかさを感じ入りました。

まあ、最大1晩お泊まりだけで、明日には大量釈放となるでしょうが。

それにしても、政府は何を考えていてるんでしょう?末期的です。




2004年 4月19日(月) 母の日に「自己責任」を思う

今日のネパールは、母の日。欧米式の母の日とは全然別の、ヒンドゥー教に基づくものである。だから、日本の母の日とは日付も違う。

さて私も午前中、カトマンズ市内ギャネソールの「お母さん」に、プレゼントを持って会いに行った。6人のお姉さん、1人お兄さん・兄嫁、孫たちうち揃いにぎやかなひとときであった。沢山の子供たちに囲まれ、にこにこしているお父さん・お母さんを見るにつけ、日本の両親を思い出してちょっと、目から汗が出そうになった。

ここのお父さん、元王室主席司祭で、大変に厳格な宗教者。それなのに、私のようなのを「娘」と呼んで可愛がってくださる。大変に有り難いご家族なのである。ただ単に地位の高い人たちではなく、深い愛情のある方たちだから、自ずと尊敬の念が湧いてくるんだな。私自身、いい子になりたい.....と思う。

午後これから、タパタリの「お母さん」の家にも行こう。お父さん......元駐日ネパール大使であり、マヘンドラ国王の側近であった方。今はもう、いらっしゃらない。ここのお母さんは、元はラナ家のお姫様。おきゃんな姫がそのまま歳をとられた感じで、なんだかとっても可愛い方なのだ。このご家族に対しては私、大変助けていただいてきた。前世の因縁を感じるほどの、恩恵を受けている私。

こうして考えると、長年「王室」を支えてこられた、真摯な方たちと出会えたネパール人生である。そういう方たちを見てきたから、ネパールの王室が、何とか、この国の安定のため機能してもらいたいという気持ちになる。深く・高い想いで支えているネパールの人たちのことを想って、良き存在となって下さい。ねっ、ギャンちゃん。

せつない、祈り。

*注)
上記2家族は「亭主の実家」ではなく、私を「娘」として大切にしてくれる「私の実家」なのです。私には、宗教的な儀式で兄妹となった「もう一つの実家」もネパールにあり、合計3つのネパール家族が支えてくれています。有り難い限りです。また亭主の実家も、義父は亡くなりましたが、義母が特に心の広い人です。

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ところで「自己責任」である。もしネパールに「退避勧告」がでた場合、どうしよう。私はネパール人の家族を抱えている訳で、亭主を残して日本に引き揚げる訳にはいかない。仕事だってある。ネパールに「生活の基盤」がある訳で、日本は私にとってガイコクなんだな。しかし日本国籍。

最近、ネパール人生をネパールで完結させるためには、日本国籍を捨ててネパールに帰化するのがベターなんじゃないか?と、ふと思う。でもなあ.....日本の両親がいる限り、私は日本国籍じゃないと、あまりに両親に申し訳ない。

別にネパールだからどうこうという訳でなく、先進国であろうとどこの国であろうと、国籍を変えること自体の問題。両親の世代が額に汗して造り上げてくれた「日本」という存在から逸脱することは、あまりに申し訳ない。

まあ、ネパールとイラクは全然違う。考えすぎても仕方ない。何かあった場合の周りにかける迷惑を考えつつ、自重するしかない。

それにしても、何かあった場合、ネパール国籍の家族を捨てることは出来ない。何かなんて......起こらないことを祈るだけ。




2004年 4月20日(火) ちょっと「甘い」のと違いますか?

最近ツーリストの数が復活しているネパール。同時に、特に民放テレビの取材も増えているようだ。基本的には喜ばしいことである。

ただちょっと、日本の番組制作会社に苦言を呈したい。

私がいくらネットで発信していても、基本的には「見ず知らず」同士。お互いの信頼関係は、ない。それなのに突然

「出来るだけ安くて信頼できる通訳を紹介してほしい」

なんてメイルを出せるのは、何故?手っ取り早く、安上がりがほしいんですね。

今朝は出がけの時間のない時、日本からの国際電話があった。紹介者はいたものの、やはり民放で放送する番組制作会社の方であった。で、ネパールの状況はですね......政情がね。という話しをすると

「?」「!」「知りませんでした」「いったい何が原因なのですか?」

「そういう基本的なことは、まずネット検索してください」

ってもう......ついつい声に不快感を出してしまった。ダイヤルアップで苦労してネットにつなげているネパールで、ウェブからの情報収集を続けているんだから、日本で、多分ブロードバンド環境にいるあなたたちが「ネットで調べていません」って、信じられない。特に、メディアの人たちは情報が命でしょう。

googleでネパールと検索すれば、bintiはすぐ見つかる。そうすれば最近の、カトマンズ市内の様子も見渡せる。難しいことだとは、云わせない。業界の人たちには。

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最近世間では、自己責任論が盛んに取り上げられている。以下、「どこの国」と限定した話しではなく、一般論として書きたい。

まず、日本のメディア取材陣、ジャーナリストが外国、特に現地語が必要な途上国で仕事をする場合、現地コーディネーターや通訳、リサーチャー(以下、現地コーディネーターと統括)なしでは、普通仕事が出来ない。

でこの現地コーディネーターは、現地の人であったり、その国に根を張って暮らしている日本人だったりする。その社会にコネと情報網を張り巡らせ、それで食べている人たちである。彼ら、彼女らは、日本から来た「客」のため、自分の能力をフルに活用し、通常では出来ないことを「何とか」するのである。

そこの上で当然、対価が支払われるのであるが、いい仕事をしようとすれば日本側現地側共に、金銭を超えた連帯感でつながることが必要。平たく云えば

赤の他人のあなたのために、落ちる時は一緒にドボンと落ちますよ、ワタシモね。

つーことなのだ。言葉が分かり、状況の分かるコーディネーターは、逃げようと思えば自分だけ安全圏に走り込める。しかしそれをせず、時に肉体的・社会的に我が身を窮地に立たせながら、客の取材を成功させるため頑張るのだ。

そこには「安上がり」「手軽」という観念はない。

世間を騒がせている事象も、日本人がどうこう...って事も大切だけれど、その日本人を現地で助けた現地の人たちが今、どういう状態におかれているだろうか?ってことも想像したい。またそんな側面も、日本のメディアは報道すべきじゃないかな。

部族社会では、命がけってこと、あるよね。日本人は日本に帰れるけれど、その国、その社会、その利害関係の内部で、本人と家族が生き続けねばならない現地の人間のことも考えたい。

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私と連れ合いは、とある組織に対する忠誠心(って大袈裟だけど)を持っており、その組織も常日頃から、私たちが安全に取材・コーディネーションが出来る環境を作り出していてくれる。信頼関係がそこに、きちんと存在している。

また、その組織のみなさんは日頃から、世界情勢にアンテナを張っておられる。ネパールにいる私が知らないネパールのことをご存じで、逆に私が教えていただくことが多い。プロ...なんだな。みなさん。だから私は、尊敬の念を持って接している。

だからね、他の組織が私を、その場だけ1回限り「便利に使う」事って、出来ない。

しかし他の組織からの依頼に関しては、しかるべきネパールの他社をご紹介することが出来る。しかしこの場合、「いちげんさん」の日本人が信頼できる人たちでないと、私の仲間内(=他社)に迷惑をかけることだって考えられる。

やはり、基本的な情報はネットで調べてから連絡くれる人とか。手っ取り早くどうこうなどというメイルを書かない常識とか。そういうものがない人は、信用できないね。だから、誰かに紹介するってことすら出来ないね。

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私は、資金力・組織力を擁する大メディアだけを良しと云っているのではない。

フリーの、より自由な組織からのメディアは大切な存在である。

しかし、より身軽であればあるほど、「自分」ってものを他人に信頼してもらうための「努力」が必要なのではないかな?そうじゃないと、安全も情報も本当のものには近づけないんじゃないかな。それは、「支払うお金の大小」以前の問題。

仕事で、特にメディアの仕事で外国に行く場合、その国の状況をまず調べるのが当然だわな。特に、ネットという便利な道具があるんだから。ネットで得られることを赤の他人に聞くのって、業界人としては基本的に「恥ずべき事」だと思う。

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今朝方は忙しかったこともあり、こちらもつっけんどんな対応であった。申し訳ないと思うと同時に、ネットも見ていない相手方のイージーさに腹が立って.....その後の急用で銀行に寄ることを忘れて、2度回りして......もう!

商業目的でウプレティ ミキをご利用の際は、基本的な「業界の良識」を持って接してください。あと、タダで情報を引き出そうとしても、限度がありますからね。




2004年 4月22日(木) ひと仕事終わり

昨日までが締め切りの仕事、終了。亭主と私の「最後の詰めの甘さ」を反省する部分があったが、まあ総括としては何とか大丈夫だった.....と思う。次回は是非ゼヒ、120%の結果を出したい。

昨日は、私にとって「あこがれの方」とはじめてお目にかかることが出来、親しくお話しさせていただきうれしかった。また日本から、バンコクから、ネパールにいらっしゃる「心熱き」みなさんと出会えた。感謝!

また、某在留邦人氏の素敵な奥様ともはじめて会えた。自宅の建設現場をダンナに代わり、しっかり管理している女性である。しかも、楚々とした美人。

ネパールでは施主さんが現場監督なのだが、普通は「オトコの仕事」である。某さん、たまには自転車乗らずに、奥さん孝行しなされや。ゲンバカントク、やってみなはれ......って、大きなお世話?しかしあの奥さんを見ていると、これまで以上に仲良くお付き合いさせていただきたいな、と思った。

それにしても、美味しくいただいた「グラス1杯の白ワイン」のせいか、まだ前頭葉がぼーーっとしている。亭主もほぼ禁酒状態から久方ぶりに、日本酒をいただき

「なぁ、夕べのオレって、煮え煮えになってたような気がするんだけど」

と、反省次郎猿と化している。

さて、ブッダジャヤンティまでにもう一仕事。そのあともまあ、夏までちょこちょこ続いていく。有り難いことである。

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さて、昨日は私たち夫婦が尊敬する先輩。報道写真家のG兄さんが、デモ取材中怪我をして入院。頭の怪我らしい。心配だ。

で、最近他の仕事を抱えている我々夫婦は、デモ現場の取材に行っていない。特に最近、過激化しているので行っても「亭主だけ」。しかし一方でジャーナリストが多数検挙されるなど、業界は「反体制」で熱く燃えている。

「何で、ウプレティ夫婦は最近顔を見せない!奴らは一緒に戦わないのか!!」

という声が、ネパールの仲間内からちらほら。うーーーむ。ネパールの連帯。煉瓦の降る路上を、一緒に逃げまどい、ヘタしたら怪我をしたり、拘束されないとダメみたいね。うーーーむ。日本国籍の私がタイーホされたりすると、ちょっとメンドーだけどね。まあ外国人を拘束したりもしないだろうけど。でも、ヘタすりゃネパール人に間違われるからな、私。亭主はネパール人だから、モロだけど。

ヘタを打たないよう、気を付けてます。




2004年 4月27日(火) 後悔先に立たないけれど

昨日、日本人会婦人部のバザーにていろいろと格安にゲット。ありがたかった。鳩居堂の一筆箋など、感涙もの。Nさん、ありがとう。

戦利品の中に、活け花用の剣山と花器も。剣山、日本から取り寄せようと思っていた。カトマンズで手に入り、ラッキー!早速自宅で、買ってきたお花と、切ってきた庭の木の枝など取り混ぜて活けてみる。天・地・人だったよな。えい、ままよ....と、さすがに「自己流」だわ。ははははは(^_^;)

ジャパニーズ活け花「もどき」だけど、まあ、許してな出来上がり。

日本の外務省(大使館)から、毎年亭主宛に届く「活け花カレンダー」をお手本に、自己研鑽に励もうと思う。いやはや。

ガーデニングをやっていると、お花さんを美しく、より長生きしてもらえるよう活けたいっちゅー願望が出てきたワケ。親がかりで習い事が出来た時期に、お花、お茶、ちゃんと習っておけばよかった......と、後悔しきり。

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最近亭主が多忙で相手にしてくれないので、友人とのランチの機会が2回もあった。

大学時代の友人@現在仕事でカトマンズ滞在中さんとは、セントメリー・スクール近くのロードハウス・カフェ。薪で焼いたピザのお店。トイレの素敵さに、瞠目。

在留邦人の友人たちとは、サネパに新しくオープンしたサンドウィッチ+ワッフルのお店KIDS。洒落た店内。初々しいボーイさんたち。

日本語を喋りながらの食事は、楽しいね。ありがとう。感謝の気持ち。

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ネパールの政情、混迷が続いている。

普通の旅行に支障はないですが.......と、すっきりしない文章を書くのにうんざり。えーかげんにせい!と、云っても仕方ない。こういう国なのだ。

しかし、勘弁してほしい。