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2004年 2月 1日(日) とまぁ、2月になりました

引っ越したばかりの新居の片付けで、正直へろへろ。亭主は外回りの工事を監督しており、内回りはわたしが責任者なのだ。

あれも買わなきゃ、これも新しくしたいと、財布もスッカラカン。

昨日は1月末まで借りていたアパートから、やっと家財道具を運び出せた。期限末まで、ぎりぎりでセーフ。で今日から、日本からクライエントさんが来訪。2月末までの「編集室お籠もり」が、明日から始まる。その方がネパールを出発される翌日から、また別のお客様が来訪予定。こちらは、カトマンズを離れての仕事となる予定。

事務所でする仕事より、自宅片付けの方が何倍も大変だ。今日から強制的に「業務第一体制」に入れることが、正直ありがたくって仕方ない。

有り難くも、かたじけなく候。

明日は、カトマンズ盆地はゼネスト。自宅から事務所まで、歩いて通勤。片道1時間半から2時間近くかかる。ははははは......(T_T)




2004年 2月 3日(火) 強制的健康生活

昨日はバンダ(ゼネスト)。カトマンズ盆地内の交通も止まった。

しかし亭主も私も出勤「セネバナラヌ」事情があり、ラリトプール郡イマドール村...村!カトマンズ盆地内だけれど.....の自宅から、てくてく歩いた。

片道1時間半 (-_-;) 往復で3時間 (T_T)

メシはうまいし、よく眠れるズラぁ〜って、はぁ〜っ.......

ネパール政府の治安維持、最近ちょっと危ない兆候がカトマンズ盆地内でも見られている。国王、内閣、政党側の動きも気味さを増している。

そろそろ、かな?

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盟友ビンティの日記に、ちょっと気になることがあった。

高津さん、私たち「野にある人間」は、枯れ野に髑髏をさらす腹さえくくれば、組織に縛られる人間には云えないことも云えちゃいますよね。ネパールに移住したってこと自体、半分髑髏を晒してますもんね。

でもお互いに、「それは噛みつくべき価値のあることなのかどうか?」を考えなきゃいけませんよね。糠に釘を打つのは、空しいだけです。

同時に、他人さまから見れば「そんなこと黙っていりゃあ無難なのに」という事でも、自分としては「絶対に黙っていられない」こともあります。そういう時は、私も弾けます。

ビンティも空の下も......と、同列にくくるのはビンティの偉大さに対して、空の下の傲慢ですが......いろんな人の目に触れています。私たちネット発信者は、両刃の剣を手にしているんですよね。

他者に対してもの言う時は、自己を厳しく見ることも不可欠。その上で、私も云います。

自分が、敢えてネパール人生を送る意味だけは、見失いたくありません。自分にとって言うべき事も表現できないなら、ネパールで生きる意味がありません。

ビンティが、ビンティとして「ある」ことは、私にとって大きな喜びであり、励みであり、そして勇気の源です。高津さん、ありがとうございます。




2004年 2月 6日(金) 国際山岳博物館、オープン式典報告(予告編)
国際山岳博物館、遂にオープン!
式典前日から現地に行き、博物館関係者の皆さんのご厚意で、準備風景から立ち会うことが出来ました。ありがとうございました。

いやはや、そこはもう......巨大なる内装工事の仕上げスペクタクル!ワクワクドキドキ、抱腹絶倒、そして心が「ぽっ」と暖かくなるお話しをお送りします。

以上、予告編。




さて、3日ぶりに我が家に帰ってみると、ダイニングセットとソファセットが届いていた。

が........家具屋曰く「床が真っ直ぐじゃない」、亭主曰く「家具の足の長さがちぐはぐ」なことを修正する作業が行われていた。この両方の家具は、お騒がせディリバザールの家具屋さんではなく、パタン市にある某「鉄とガラスを組み合わせた家具屋」謹製のものであ〜る。

まあどっちの言い分が正しいにしても、マーブルの床に置いたソファに座るたび、「ソファが床の上を滑る」のと、コーヒーテーブルの天板ガラスが、鉄製フレームの上に真っ直ぐに置けないのは、我が家のせいじゃないよ!

鉄工所の機械を持ち込んで、溶接したりグラインダーをかけたりしつつ調節してくれた。すべての作業完了後、現場に立ち会っていた、若くてハンサムなマネージャー氏が微笑みつつ、お言葉を垂れた。

「いゃあ、こーゆー調整作業が大切なんですよ」

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その後出勤し、ミーティングをしていたら今度は、ディリバザールの(木製)家具屋さんからの電話。追加注文しておいたドレッサーが完成。ショールームまで見に行く。

ここのとんちきマネージャー氏には泣かされたが、オーナー夫妻がハンドリングしてくれるようになってから、大変に気持ちよくお付き合いさせてもらっている。今回の出来は、注文通り。それ以上。

明日午前中配達してくれる。その時、とんちきマネージャー氏が「注文を間違えた」タンスの修復作業もしてくれる。

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長かった自宅引っ越し・内外装大作戦も、ゴールが見えてきた。




2004年 2月11日(水) 国際山岳博物館、オープン式典報告 1

2月5日、山岳観光都市ポカラにオープンした International Mountain Museum (IMM) 国際山岳博物館。

私は縁あって、この博物館建設に奔走したネパール側。そして大きな支援を続けている日本の山岳関係者・ネパール関係者・ネパールを愛する皆さんの活動を見つめ続ける機会を得ていた。そんなこともあり、完成時には「行かねばならぬ!」と、式典の前日カトマンズからポカラに飛んだ。

オープン前日のIMM

オープニングを翌日に控え、現場では展示物の最終調整と野外ステージの準備が進んでいた。

展示室内では、山岳写真家大森 弘一郎先生が撮影された、空撮によるネパール・ヒマラヤの巨大パネル写真が、先生立ち会いの下、ポカラで製作された「木のフレーム」に取り付ける作業中であった。

しかし......フレームは「長方形」であるべきなのに、緩やかな「平行四辺形」の出来上がり。ポカラの大工さんはメジャーを取り出し

「ダンナ、長さは合ってますゼ」

と主張している。四方の角が直角になっていない......という点に関しては、大工さん全〜然無頓着。というか、理解出来ていない模様。

ちょうど床のコンクリートに、正方形の枠が切ってあったので、そこに合わせて置いてみる。すると大工さんも

「あっ、こりゃダメだ」

と、自分の仕事の問題点を、他人事のような表現で理解してくれる。それを見ていた日本側は、ええーっ。この大工さん、直角を理解していなかったのぉ!?と、どこにコミュニケーション・ギャップがあったかご理解くださった。

はは、はははははっ。

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そしてオープニングの朝、博物館には続々と、ネパール山岳関係者、山地に住む民族の代表者が集結した。日本をはじめとする外国からのお客様、タパ首相たちネパールのVIPを迎えるためである。

Welcome to IMM!

写真は、タコーラ出身「タカリ民族」代表の皆さん。ポカラのダムサイトにある、日本人には有名なゲスト・ハウス「モナリザ」のご家族である。

さあ、いよいよ式典が始まる!  つづく




2004年 2月13日(金) 国際山岳博物館、オープン式典報告 2

IMM 国際山岳博物館オープニング式典は、当初ギャネンドラ国王が主賓....であった。が、間際になって何かがあって、タパ首相に変更となった。

ネパールガンジでの、市民による国王歓迎式典との日程調整のためか?それとも、国王に釣り合う賓客が外国から来なかったためか?主催者のネパール登山協会 NMA、最初はあの国から☆◎さん、この国から▽◇さんを呼ぶんですよぉ〜と元気であったが、結果はちと寂しいものとなった。

どんなに無理をしても昨年5月末、エベレスト登頂50周年式典の「一環」としてお披露目しておけば、ヒラリー卿、田部井淳子さん、メスナー氏、ハーベラー氏などのお歴々が臨席してくれたのに。そういう方たちは忙しいんだよ。NMAが気軽に呼んで、「ホイ」と来てはくれないよ。そういう見通しの甘さは、ネパール的なんだよなぁ。

ようこそIMMへ

さて、午前11時到着予定のタパ首相、予定通り(?)到着が遅れる。

ごらんのように色とりどりの、いかにもヒマラヤな「かわいい」お出迎え軍団も勢揃いして、首相の到着を待ちかまえている。

ネパールの山男・山女

ネパールが世界に誇る登山ガイドの皆さんも、フル装備を身につけ勢揃い。

タパ首相もご臨席

そして登場したタパ首相。

写真向かって右側から、ネパール登山協会アンツェリン・シェルパ会長。上院議員ヤンキラ・シェルパ女史。タパ首相。シュクラ観光相。

日本から駆けつけてくださった皆さん

そして、この日のために日本から、80名もの山岳関係者の皆さんが駆けつけてくださった。日本とネパールの、登山を通じた交流の深さと広さを実感した。

記念式典は、外国人のお客様無視の「ネパール語によるスピーチ」が延々と続いた。せめてスピーチの要旨だけでも、日本語か英語にして配布してよぉ〜。このためにわざわざ外国からやって来た人のことも、もちっと気にしてほしかった。

いや待てよ。特にポカラ市長の訳の分からぬ演説など、外国人には理解できなくて良かったかもしれないね。

式典中、平和を願って、VIPが放った鳩。全然飛び上がらなかった。特にタパ首相の鳩なんて飛ばないだけではなく、舞台の下に潜り込んでしまった。

動物と子供は正直と云うけれど......  つづく




2004年 2月16日(月) 国際山岳博物館、オープン式典報告 3

長かった式典も終わり、タパ首相や招待客は、博物館内部の見学に向かった。

視察するタパ首相

館内は広い!大変ゆったりとしたスペースに、ネパールの山岳文化、ネパールヒマラヤの登山、世界の山岳文化といったテーマ別のエリアで区切られている。

IMM内のチベット仏教・仏間

館内でまず目を引くのは、チベット仏教の仏間。ここでは高僧を招き、仏式の法要も出来る。ヒンドゥ至上主義のネパールにおいて、ネパール登山協会(NMA)、やりおったなぁ.....ぱちぱちぱちと拍手である。

NMAは会長以下、シェルパ民族を中心とするチベット仏教徒がパワーを握っている。そこまで深く考えずにやったのかも知れないが、アーリア文化に支配されているネパールにおいて、山岳文化がはっきりと主張したとも見える。

タカリ民族のコーナー

また、タカリやグルンなど、ネパール山岳民族の文化・風習を紹介するコーナーも興味深い。写真はタカリ民族。ああ、ネパールでピカイチに美味しい、タカリ料理が思い起こされる。ああ、ジョムソムに行きたくなった。

このように、ネパールにおける山岳「文化」をきちんと紹介しているところに、IMMが国際「登山」博物館でなく、「山岳」博物館である主張が感じられる。素晴らしい!

マナスル日本登山隊コーナー

さて、「登山」の展示も見応えがある。写真は、マナスルを初登頂した日本隊の展示コーナーである。当時の登山に使われた、貴重な展示物や肉筆の記録などもある。

こんなに大切なものを寄贈された、日本のみなさまには頭が下がる思いである。

田部井さんコーナー

女性としてエベレスト初登頂者となった、田部井淳子さんのコーナーもある。田部井さんは登山での実績はもとより、世界の山岳環境問題でのリーダーシップにより、ネパールでも高い評価と敬愛を集めている。

世界ではじめてエベレストに「無酸素登頂」を果たしたメスナー氏とハーベラー氏の展示より、田部井さんの方がずっと大きなスペースである。  つづく




2004年 2月24日(火) 国際山岳博物館、オープン式典報告 4

IMM開館記念消印封筒

国際山岳博物館は、兎にも角にも正式オープンした。

記念式典の夜、ポカラ市内のホテルで、ネパール登山協会が外国人招待客に感謝を表すためのパーティーが開かれた。ネパール最高のアーティストのひとり、イシュワル・グルン氏率いるフュージョン・バンド、「ヒマラヤン・フィーリングス」の生演奏も入った、和気藹々とした楽しい集まりであった。

席上、来賓の挨拶を締めくくるため、ネパールモンゴル系民族の知識人なのかで、最も尊敬を集めるハルカ・グルン博士がスピーチをした。

「私は云いたいことがあります。この博物館は国際山岳博物館なのです。でも、ここに来てくださっている外国人は日本の方ばかりじゃあありませんか。アメリカからは?ヨーロッパからは?これでは、国際山岳博物館ではない」

博士の言葉を日本語に通訳していた方が、壇上で絶句していた。遠路日本から来てくださった方たちに聞かせられる言葉ではない。しかしグルン博士の指摘は、正しい主張でもある。通訳氏は日本語ではなく、英語に通訳してその場を切り抜けた。

オープン前日のIMM

この博物館建設には、日本の皆さんの協力が大きかった。裏を返せば、日本以外の国、特に欧米諸国からの関心が低かったと云える。

博物館建設をスタートさせたのは、ネパール登山協会元会長、今は亡きダワ・シェルパさん。彼の信念はこうであった。

「世界の登山家・登山者は、ヨーロッパ・アルプスの登山ガイドのことを大変尊敬している。しかしネパールの登山ガイド(シェルパ)については、見下した態度をとることがよくある。自分自身もシェルパ民族のひとりとして、この格差を何とかしたい。そのためにはネパールの登山ガイド、シェルパ民族、その他の山岳民族とその文化に対する世界的な評価を確立させなければならない。だからこそ、世界のどこにもないような、世界一の山岳博物館をネパールに完成させねばならないのだ」

彼が最終的に目指していたのは、博物館に「世界の山岳に関するデータベース」を構築し、ネットで世界につなげることであった。山岳に関する、世界一の情報基地を作ることであった。

ダワさんの遺志を実現させるためには、国際山岳博物館、完成したと喜んでいてはいけない。残された仕事は実に多い。

国際山岳博物館

まず最初に、グルン博士も指摘された通り、世界からの真の注目を集める博物館にグレード・アップすべきなのである。

そのためには展示物を、より充実させる方法もある。しかしネパールの経済現状とマネジメント能力を考えるに、それは難しいであろう。

私が提言したいのは、イベントの開催である。例えば、エベレスト登頂回数世界一はネパール人、アパ・シェルパさんである。そのアパさんの「自然教室」「自然学校」をこの博物館で開催できれば、世界から参加者が集まるだろう。何といってもアパさんは、ネパールにしかいない人なのだもの。

例えばネパール・ヒマラヤの登山隊。出発前にこの博物館で「環境保全に対する事前ブリーフィング」を受けないと、登山にいけないシステムを確立する。

ネパールヒマラヤにおける「聖地」として、博物館が認められるようなイベントなら、ネパール政府とネパール登山協会のリーダーシップで実現可能だと思う。

そしてこの博物館建設の最大・最高の援助者・理解者となった日本の皆さんからも、博物館が本当の意味で「国際レベル」になるための、さらなるご協力をお願いしたいと思う。まずはネパール登山協会に、完成したと安心するな!と、やんわりご進言願えないだろうか。

ネパール登山協会は、そのキャパシティー以上の働きをしている素晴らしい団体である。しかしどこからか突かれないと、腰が重いのも事実。まあそれは、ネパールという国全体の文化なのであるが.......

この博物館は一面で、自国の山岳文化、自分の属する文化以外の知識が薄いネパール国民に対する情報センターでもある。現在の、国際レベルとは言い難い部分もある「ネパール山岳博物館」でも、この目的は充分に果たしてくれる。しかし、ネパールの、特に子供たちに、自分の国の中で「世界一流」の博物館を体験してもらうことが出来ればより素晴らしいと思う。

世界的ってこういう事なのね。ネパールはこの部分が足りない。ネパールのこんなところは、世界の人に誇れるんだな。と、自分の国を世界の中で評価する。自分の国を誇りに思う。そんな場所になってもらいたい。

願いを込めて、報告を終わりたい。




2004年 2月27日(金) 感謝と自省が大切

自分にとって大きな意味を持つ仕事が、ひとつ完成した。まだこれから英語版作成もあり、気は抜けないが、まあ、一山越えた。

クライエントであるTさんと、仕事以上のお付き合いをさせていただいた日々。琴線に触れる日々を過ごさせていただいた毎日であった。心から感謝申し上げたい。

また今日、カトマンズ邦人社会とネパール人社会の架け橋となり、みんなに尊敬され愛されたNご一家が帰国された。私もカトマンズに移住直後から、困った時何度も何度も助けていただいた。いつも励ましていただいた。ありがとう、Nさん。

また最近、長年ずっと心に引っかかっていた事が解決した。人生いろいろあるが、自分はネパールという国と、ネパールの人たちに助けてもらって生きていることを忘れてはならない。結局ネパールと、ネパールを愛する世界中の人たちのおかげて生き長らえているのだ。オーバーな表現だけれど、実際そう思う。

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と、心素直になれた幸せなカトマンズ暮らしである。

反面、ちょっと「カチン!」と来ることもある。

初対面で自己紹介したら、私の本職が「日本から派遣されているのか」それとも「現地採用なのか」をしつこく聞く御仁がいる。挙げ句の果てに「何だ、下請けか」と、鼻を鳴らされた。

アンタハ ナニサマナノ?

以前一度だけ、某所の勉強会で、ネパール語と日本語の通訳をしたことがある。そこではじめてあった方で、それ以来私の顔を見ると「いつも通訳でご活躍で」と、本人は褒めているつもりの御仁がいる。

通訳は立派な仕事だが、私は立派な本職の通訳ではない。で、ひがみなのかも知れないが、その方は「通訳」ってちょっと見下している感じがするんだよな。某勉強会の主催者さん(読んでるよね)、次回は私をパネラーの先生として呼びましょう。

本来会社人間から卒業して「自由」な心で参加して派遣されているはずのみなさまの中に、日本の階級社会を引きずっている姿を見るのは興味深いね。

性差別と怒られるかも知れないが、同じ立場で派遣されている方たちの中でも、女性の方が、より精神的にフレキシブルで素敵に見える。

日本から、特にしっかりとした組織から派遣されている方たちは、現地組(例えば国際結婚やら、フリーの仕事で住み着いている人間)の邦人からは、厳しい目で見られていることを自覚された方がよいと思う。

同時に、ネット発信という凶器(?)を手に握っている私なども、大いに自省すべきなのである。その上で、今日は敢えて書いた。

分かる人には、どこに向かって噛みついているか、分かってしまう筈である。



2004年 2月29日(日) しばし、旅の空

これから空港に向かう。大好きな場所、マナンに向かう。

はてさて、早春のマナンでどんな出会いがあるかな?楽しみである。

では、行ってきます!