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2004年10月 1日(金) ネパール人亭主への愚痴は、カラッ!と晴らす

昨夜、神長大使御帰朝にともなう、大使ご夫妻主催レセプションにご招待いただいた。亭主はブレザーにネクタイ、私は「バウニ趣味」の真っ赤なサリーで出かけた。

神長大使はカトマンズにだけ留まらず、ネパール全土を文字通り「足」で歩いてくださった、行動派の大使である。また、ネパール文化に対するご理解、アプローチが広く・深く・篤い大使である。在任中に大使自ら撮影されたネパール全国の写真も展示され、お別れを惜しむことが出来た。

パーティーにはネパール人、日本人を中心に、多彩な皆様が顔をそろえていた。不肖我が夫婦、こういう場の末席に連なることが出来、素直にうれしく誇らしい。

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出席されていた統一共産党UMLのネパール党首とは、いひ、ひひひひひって感じの危ない雑談をしたりして。停戦は遠いよね。

日本人諸先輩からは、「読んでるわよ」と、お声をかけていただく。パーティーに、歌う尼さんアニ・チョイン・ドルマさんも出席されていて、「あっ、空の下に出ていたアニさんだぁ」なんて声もあって......わあ。恐縮してしまう。

カトマンズ在住のみなさんから、ダイレクトにこのサイトについてお声をかけていただくに、う〜む。滅多なことは書けないゾと、一瞬思う。最近のこの日記など、「愚息が離れて淋しい日記」だったり「カトマンズ食いしん坊万歳!日記」だもんね。こーゆー個人のつれづれを、垂れ流していていいんだろうか?

でもね、政治や治安についてなど、カトマンズ在住の外人+しかも家族はネパール人の立場では、書けないことばかりでもある。「王国」政府からも、ジャングルに樹立されたとも云われる「人民」政府からも、睨まれたらタ〜イヘン。私は未だガイジンサマであるが、ネパール人亭主など、逮捕・拘束・吊されてズドンだもんね。

旅行でこの国を訪れるのは大丈夫でも、この国に深く関わって生活することは、最近疲れることが多い。我が家族、来年の今月今夜のこの月を、平和に眺められるかどうか?全然分かんねぇもんな。

だからなのか、ネパール旅行の治安について訪ねられると、

「来たいなら、つべこべ云わずに来りゃあいいじゃん。旅行中常識さえありゃあ、大丈夫よ。ふん。どーせすぐ、一見平和な日本に帰るんじゃないの。ぐちぐち悩むなら、来なきゃいいじゃん。ワシわなぁ、この国と心中するんじゃからな。そーゆー人間に、この国の安全や危険について尋ねるなぁ........」

と、最近、心がささくれ立っている。

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さて、ネパールに「人生を投資」している外国人が寄ると触ると、この国の将来について悲観的な話ばかり。どこも、業績悪化。

うちの亭主の会社も、ご多分に漏れず。業績最悪。現在、カトマンズ市内の大変便利な場所に事務所を借りているが、縮小・移転の計画が進んでいる。最低限の住む場所は確保してあっても、従業員や住み込みの書生くんたちの人生も見捨てられない。また、私のエゴで私立学校選びをした愚息も、これから学費がもっと必要。大学は、何としても国外に出したいと思っている。

将来のことを考えると、収入が伸びる見込みはないが、支出は増える。

我が亭主はうじうじバウン男で、昨日はパーティーが終わった後のホテルのロビーで、コーヒーを飲みつつ夫婦で話し込んだ。まあ、結局は「お金」なんだよね。お金があれば、愛情だって買うことが出来る。ネパールのような「社会正義のない」国では、お金のない優しさなんて意味がない。

あ゛ーーあー、分かったよ。このうじうじオヤジ!私が日本に出稼ぎに出てやるよ!日本から金を送ってやるよ。そうすりゃあ文句ねえんだろ、ゴルァ (`へ´)フンッ。

ってねぇ......四十を過ぎた私が今更日本に行ったって、仕事はないんだろな。

良くても悪くても、カトマンズで頑張るしかないってこと、夫婦揃って理解している。それでもなお、愚痴りたくなる。一族の「長」であり、一族の「期待」を背負い、一族を「引っ張っている」亭主は、一族から尊敬と愛情をもらっているが、金銭的に支えてくれる人はいない。で、横を見たら、私がいる訳なんだな。

結婚後何年か、私が経済的に強かった時代があった。外国援助機関のローカル採用だった私と、ネパールの公務員だった亭主。その後二人とも独立し、亭主も頑張って収入を増やし、車輪の両輪で数年間走ってきた。しかしここ2年間、私の収入が激減。ここしばらく、亭主が支えてくれている。

亭主にとっては、頼りにしていた私が頼りにならないのって、大変な不安を引き起こすみたいだ。しかもこの女房=私。金食い虫のガイジンなのだ。嗚呼、最悪。

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今朝は、やるせない怒りにまかせ、スクーターでひとりで家を後にした。

マイクスでひとり朝ご飯を食べ、インディコ・ギャラリーにふらっ〜と顔を出したら、ミティラー・アートの展示会をやっていた。土産物のミティラー・アートじゃなくて、芸術作品には、ネパールではなかなか出会えないんだよね。インド側では、故ガンガデヴィさんなど、世界的に有名なミティラー・アーティストがいるけれど。

でも、ネパール人ミティラー作家のスマンさん。ああ。これは芸術だわ。アートだわ。子供の落書きみたいな、土産物じゃあないわ。ああ。出会っちゃったわ!

亭主が知っている「ネパール女性」って、結局父親や夫に付属している。でもなあ、私は違うんだぞ。ひとりで移動できる。ひとりでご飯も食べられる。ひとりで芸術的な場所に行って、作家とお話しなんかしちゃうんだゾ。ざまあみろ!

つーことで、怒りを昇華させるべく......といういい訳で、私でも「お迎え」できる作品があったため、お譲りいただくことも出来た。そのまま、行きつけのアートやさんカリンタに直行し、額縁も注文。うしししし。

ざまあみろ、亭主!ざまあみろ、ネパール!!

西側先進国出身の嫁は、うじうじせずに、ババーンとストレスを発散させるんだ。文句があるなら、いつでもかかって来なさい。ぶちのめしてやる。

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カトマンズ市内ナクサール、マイクス・ブレクファスト内、インディゴ・ギャラリーでは10/3(日)まで、S.C. SUMAN氏によるミティラー・アートの展示会開催中。




2004年10月 5日(火) 野球は嫌いだが、ベースボールは好き

ご存じイチローの大記録。世界一の大リーグに日本から乗り込み、異文化の中で達成した大記録。ありがとう、イチロー。

特に海外で暮らす日本人にとっては、我が身に重ねてうれしく、勇気の出る出来事であったと思う。ヤンキース松井も、これからプレーオフ突入。ドジャースの石井投手もだね。日本人選手の活躍で、大リーグから目が離せない。

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さて、私は野球は「嫌い」だし「興味もない」人間である。日本のプロ野球も、高校野球も眼中にない。しかし、私はかつての「甲子園の名門校」出身であり、高校3年生の夏は同級生が出場した甲子園で準優勝......なんて経験もしている。

何故私が野球に反感を持っているかというと、たかが「ボール・ゲーム」のひとつでしかないのに、特権意識に凝り固まっているからだ。

例えば高校野球。それ以外の高校スポーツは「高体連」の管轄だが、野球部だけは「高野連」という別の組織の傘下にある。甲子園出場ともなると、街の大人たちが大騒ぎをする。いや。いつもの練習でさえ、塩辛い表情の「おやぢ」たちが、バックネット裏から熱い視線を投げかけていたりして........これって異常じゃん。

私の母校は県立高校であったため、「野球も教育の一環」と称していたが、教員+大人の異常な関心で、「こんなん教育じゃないじゃん」と、理不尽を感じる事満載だった。野球だけが「評価されるスポーツ」。野球をしない男子や、甲子園から締め出しの女子は「国立大学に合格することだけ」が評価の対象だった。

ああ、二十数年経った今も、高校時代の事を想い出すに怒りが込み上げてくる。あの頃は「批判する」「声を上げる」「行動を通じて変革をもたらす」という文化のない暮らしであったな。まあ、反面教師......つー事でもあるけれど。

「野球」は素晴らしいスポーツであると思うが、何故野球だけが「特権階級的」存在なのだろうか?近年のサッカー熱。オリンピック熱で、野球は地盤沈下を起こしていると思う。野球の「盲目的権威」が裸の王様となるなら、この傾向は更に進むね。

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さて、では野球部員とも仲が悪かったか?つーと、その逆。甲子園のヒーローとなったバッテリー2人とは、3年間ずっと同じクラス。がははははっ!と、カラッとしたつきあいで仲良しだった。甲子園にも、受験勉強しないで応援に行ったしね。

私の高3の夏は、自分自身のインターハイ出場と、甲子園で燃えたね。

でもって、現在の日本のプロ野球など見ていて、特に今年は権威の横暴に嫌気がさす事ばかり。古田選手、野球以外で疲れていて可哀想。私の野球嫌いが、より堅固になったね。いやはや。悲しいぞ。

世界最高の大リーグで活躍するベースボールの日本人選手と、日本で頑張る野球選手。比べると悲しすぎるぞ。

オリンピックも、あれれれれ?だったしね。

でも私は、王さんは好きだな。台湾移民の子として生まれ、日本国民の尊敬を集める存在になった王さん。子どもの頃から好きだった。同時代に活躍した、もうひとりのスーパースターには興味.......なし。

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スポーツとしてのベースボールは、見ていて心どきどき・大好きだけれど。日本社会の「閉鎖性」が凝縮したような野球は......好きになれない。

いゃあ〜っ、へそ曲がりだからなぁ。

相撲は大好きだけれど、あれはスポーツじゃない。国技っちゅーか、神に捧げる「芸能」の一種だと思うしね。神道に基づいてるしね。

そんな国技で、憎まれ役だけれど強い(この間の場所は一休みだったが)朝青龍が大好き好きだったりもする。ネパール出身の力士も出ないかなぁ?四股名は「エベレスト」とか「大ヒマラヤ」とかね。妄想だろうか?

カトマンズで大相撲を見る時は、亭主と2人で「モンゴル、頑張れ!日本人をぶちのめしたれぇぇぇぇぇ」と、声援を送っている。勝った後の朝青龍関の「ふん」という顔つき。「いなせ」じゃないか。格好いいぞ。

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はっ......ネパールの空の下じゃなかったね。今日の話題。

マオ派が和平交渉に応じずとも、ダサイン大祭が終わったら次は「選挙準備じゃあ〜っ。春には選挙実施じゃあ〜っ」なんつー、デウバ首相の発言など。

コメントさえしたくない!出来事だらけのカトマンズ。時にはご容赦願いたい。




2004年10月 7日(木) カトマンズ、悶絶系のシアワセ

パタンのオアシス。カトマンズ在留邦人の秘密の花園。おしゃれな食欲満足悶絶カフェ。伝説のdZema転生トゥルク・カフェ。などと、勝手にさまざまな形容で巷に噂の(その発信源は、某ウェブサイトか?)BANANA CAT CAFE のサイトが完成しました。

もももさんのセンスあふれる、現在の「サイトすかすか感」が素敵です。今後徐々に、サイトも充実するそうでして、「早くもっと、いろいろ読みたい」つー外圧を、何気なくかけてみよう......とね。

さて、最近「カトマンズ、食いしん坊万歳!私はどうせビッグママ、またの名をドラえもん体型どーん」な、けぇ がるね?日記。ネパールの社会情勢が落ち着かない限り、食欲探検+家庭ネタが続くと思います。

だって.....ニュースネタなんて、怖くて書けないんですねぇ。

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さて、ばななきゃっとな話題に戻りますが、日替わりランチが楽しみです。食後のデザートも、毎日期待に胸をふくらませています。定番となった「クリームあんみつ」。ローテーションの「スィート・ポテト」、そして、美味しさがいっぱい詰まった「ベイクド・チーズケェキ」など。ああ、毎回、もんもん悶絶の美味しさです。

私の味覚は、舌から脳に到達すると、そこで文章を司る脳中枢に指令が行くようです。そしてわき上がる日本語が電気刺激として指先に到達し、パソコンのキィボォドを敲いてしまうのですね。美味い!=指先アウトプットと。パブロフの犬ですね。

出来れば毎日でも行きたい!ばななきゃっとですが、事務所から遠いことと、我が家の緊縮財政のため、週に1回で我慢しています (T_T)

日本でもお勤めのみなさんは、お弁当派を除けば、ランチは外食ですよね。我が夫婦の場合、ランチ外食は週1〜2回。それ以外は、カトマンズ・ファーストフードの王者「モモ(ネパール風蒸し餃子)」などをテイクアウトして、事務所で食べています。最近事務所近くに「ドネル・カバブ」がテイクアウトできるカフェも出来まして、ランチのバラエティーが広がりました。

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ランチ・クィーンがばななきゃっとなら、ディナーの帝王は「イナモト田村」レストランでしょう。私の勝手な趣味ですが。

オーナーシェフの田村さんがインド方面に去ってから、悲しい状態が続いていたカトマンズの老舗・田村レストランでした。過去の栄光、現在とほほ.....だった田村に、単身乗り込んできた料理人イナモトくん。巨大なる体躯とヒヨコのように優しい心から繰り出す、イナモトすぺしゃる海鮮攻撃メニューは、はっきり云って、カトマンズではずーーっと「御法度」だった美味しさです。

海鮮の幸せは、バンコクに行かなきゃ!なカトマンズでしたからね。でも、タイ航空のチケットを買わずとも、カトマンズ市内タパタリで味わえる幸せに、降参です。

ネパール国内で手に入る鶏肉や豚肉、野菜を使った料理も、イナモトくんが来てくれてから別物のように美味しくなりました。

我が家にとっては「たまの贅沢イナモト田村」なのですが、イナモトご飯を食べると、仕事も頑張ろうと勇気が出てきます。

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ところでこの両店、かつては同じ建物の1階2階で営業していました。その当時は、現在の仕切りとは「別のマネジメント形態」でしたけど。

その後いろいろあって、いったん閉店した2つのレストランが、今再び別のロケーションとマネジメントで花を咲かせています。いろいろと厳しいネパールですが、世の中のニーズを分析し、良いパートナーと巡り会い、誠心誠意仕事をすれば......良い結果に結びつくのですよね。

私が2つのお店で感じる悶絶満足感は、2人の日本人経営者の方々の元気と努力とセンスの「オーラ」まで、堪能させてもらっているからではないでしょうか。

そんな「オーラ」を、私も少しは出してみたいな。

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あっ、本日の我が事務所ランチ、一皿30ルピー(45円)の「ベジタブル・モモ」テイクアウトが届きました。ほくほくあつあつを食べなきゃ!いただきま〜す !(^^)!




2004年10月11日(月) 1974ADライブ、熱狂記 その1

1974AD LIVE〜 on 8th October 2004 at Hotel Hyatt, Boudha, Kathmandu, NEPAL
先週金曜日、ネパールの「国民的カリスマおやぢバンド」 1974ADのライブがあった。場所はカトマンズ市内ボーダナートにある、5つ星ホテルのハイヤット。

毎日最低朝晩の2回は、1974ADのCDを、フルボリュームのヘッドフォンで聞かないと、精神のバランスが崩れてしまう私。生74ADは過去2回、パタン市内の小規模ライブハウス「Mokshi」でのみ体験した。大きな会場で、ぐわ〜んとぶちかますコンサートの時は、なぜかいつも仕事でカトマンズにいないんだな (T_T)

Mokshiライブでは小さな会場でロックるわけだが、音の煩さが全然感じられず、しかも「弾けるおやぢ」をすぐそこで体感。74ADの表現するロックが、観客の心を揺るがし、得も言われぬ時空間が出現する。しかししかし、何故だかいつも「パイロ・ジュニマ」「サンボーダン」「ネパリ」などの名曲が演奏「されない」のであった。これについてはやはり、やっぱり一抹の寂しさというか、フラストレーションを抱えていた。

今回のハイヤット・ライブは、会場が「カトマンズ、究極のナイトライフ」「パラス皇太子殿下御用達」「遊び人全員集合」の Rox ロックス・バー&レストランということで、もしかして、もしかして、74ADと銀河の果てまで弾けて飛べるかも知れない?と期待むんむん。現在カトマンズ滞在中の、大学時代の友人と二人でチケットをゲット。

1974AD
(チケット+フリードリンクのウィスキーソーダ割り)

20年昔の女子大生2人=現在はおばさん2人だが、心は今も女子学生よん♪

「せっかく大学時代の友だちが来てくれているんだから、ライブの後はホテルに泊まればいいじゃん」

という亭主の言葉をありがたく頂戴し、いつもお世話になっている旅行代理店を通じて、ハイヤットホテルも格安プライスで予約した。女同士であるから、当然ツイン・ルームをシェア。宿泊料金も半分ずつで、まぁ「お得」......って、女子学生もおばさんも「こーゆー」お話しには弱いのでR〜

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さて、1974ADって「いったい何なの?」という質問もごもっとも。まずはネットで試聴するなら、こちらにアクセスしていただきたい。

そしてまた、この記事「その2/その3.....」にもご期待願いたい。 つづく〜




2004年10月12日(火) 1974ADライブ、熱狂記 その2

1974AD LIVE〜 on 8th October 2004 at Hotel Hyatt, Boudha, Kathmandu, NEPAL
ネパールの「国民的カリスマおやぢバンド」 1974ADのライブ、熱狂報告 その2。

さて、1974AD(ナインティーンセヴンティフォー・エーディー)って何ぞや?「ネパールの空の下的表現」でひとことで云ってしまえば、「ネパールのカリスマおやぢバンド」である。

なんじゃ、それ?

1996年、デビューアルバム「TIME OUT」をひっさげ、民主化後の自由と、マオ派による人民戦争開始と、混沌のネパールに出現した1974AD(以下、94ADと略)。

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1990年の民主化以前は、ネパール音楽界も「体制により認められた」ものばかりであった。愛国心を高揚させる、美しき祖国や素朴な情愛を歌う民謡。愛する人を失い、いじいじぐじぐじ感情の歌謡曲。レコーディング施設自体が、国営ラジオ・ネパールと、半国営ラトナ・レコーディング公社しかなかった。体制に楯突く音楽など、入り込む余地はない。

その後、ネパール初の民間レーベル「ミュージック・ネパール(以下MNと略)」が、元々は経済学大学講師という、音楽界とは別のバックグラウンドを持ったサントス・シャルマ氏により設立された。このMN社は現在に至るまで、ネパール最大かつネパール全土+北東インドに販売網を誇るネパール最大のミュージック・レーベルとして、ネパール音楽全体の振興のためユニークな活動を続けている。

ネパッティヤに代表される「ネパール語ポップ、ロック」を、ネパール全国に広げたのもMN社の功績であり、これにモンゴリアン・ハートが続いた。歌謡曲の若き帝王ラムクリシュナ・ダカールだって、その地位を確立するまではMN組であった。

現在のポップ・スター、スガム・ポカレル、ニマ・ルンバ、アニル・シン、ディパク・バジュラチャリア、ドクターパイロット・バンドなどが、「music.com」「Samjhana AV」「Moonlight Records」などなど様々なレーベルでアルバムを発表しているが、元はと云えばMN社が「ネパリ・ポップ&ロック」の生みの親なんだね。

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話を74ADに戻そう。このバンド、

ニラカール・ヤクトゥンバ(Nirakar Yakthumba) / ベースギター
フィロージ・シャンデン(Phiroj Shyangden) / ボーカル、ギター
エイドリアン・プラダーン(Adrian Pradhan) / ボーカル、ドラム、ブルースハープ
マノージ・ケーシー(Manoj K.C.) / リードギター
サンジャイ・シュレスタ(Sanjay Shrestha ) / パーカッション

1974AD

が現在のメンバーであり、最近のレコーディングにはメンバーとして
マノーズ・シン(Manose Singh) / バンブー・フルート
が参加している。しかしネパールの伝統楽器、バンブー・フルートの第一人者としてソロ活動に忙しいマノーズは、なかなか、なかなかライブ・コンサートには登場してくれない (T_T)

公式サイトによると、74ADは現在までに、以下の5つのアルバムを発表している(限定ベスト版は、公式サイトではカウントされていなかった)。

アルバムタイトル(発表年)
 ミキによる勝手な邦訳
TIME OUT (1996)  時間切れ
SAMJHI BASCHUU (1999)  想い出の中に
SATABDI (2001)  新世紀
JUNGI NISHAN (2002)  大いなる誇り
PINJADA KO SUGA (2004)  籠の中の鸚鵡

今年発表された「籠の中の鸚鵡」というアルバム。タイトルソングは、ネパールの国民的詩人、レクナート・バウディヤルの文学作品。ネパール文学界に燦然と輝く格調高い詩を、どロックにしてしまったんだな、こりゃ。

ラナ将軍家専政時代のネパールで、「ものを云ってしまった」がために、獄に繋がれたレクナート・バウディヤル。彼は、神と人間を仲介するブラーマン階級であったため、死刑に処すことは宗教が許さない。いや、クシャトリヤ(武人)階級のラナ将軍にとっては、尊敬し厚遇すべき存在であった。そのため、快適な監獄が用意され、毎日の食事も宗教に則った美食が出された。しかし.......獄の中である。

詩人はこれを、美しく快適な「籠」で飼われている、「もの言う鸚鵡」に例えて表現した。

珠玉の反逆詩。だからこそ......ロックになるんだな。21世紀のネパールで。頭の固いインテリ文学者たちからは、大変な反発も買ったようだ。そんなの、放っておけ!天国で詩人は喜んでくれているよ。私はそう思う。

1974AD

74ADの過去のヒット曲、Pahilo Junima(前世からの愛)、Sambodan(呼びかける心)などは、メロディアスで伸びやか。心に染みわたる。

「何でもやれ、何とでも云え、どこにでも連れて行け。私のこの心はネパール人」という、愛国心をが〜んがん鼓舞する Nepali(ネパール人)という、おい、こりゃ右翼じゃねーか?という名(迷)曲もある。私としては、ネパール「国歌」と制定したいんだけどね。この曲。

メンバー全員、大変なテクニックを持っており、アルバムには必ずインストゥルメンタル・ナンバーが含まれている。CDで聞くと「上手いなぁ」だけなんだけど、これをライブで聞いてしまうと、「どわ〜っ。どひゃ〜っ。おやぢ、やってくれるじゃねーか」と、魂がぐわんぐわん揺さぶられてしまうのだわ。

新アルバム「籠の中の鸚鵡」では74ADのロック化が顕著であり、これを聴いてしまうと同じバンドの過去の名曲など、「歌謡曲?大人しすぎぃ」と思えてしまう。しかし、ビートよりメロディを好むネパール人には、賛否両論らしい。またロック化が進めば進むほど、エイドリアンのドラムが「小さく」感じられてしまうという難点もある。ボーカルとしては素晴らしいエイドリアンなんだけど、世界戦略のためにはドラムはガイジン導入かな?新メンバー、パーカッションのサンジャイが、エッジの効いた演奏なのでより、そう感じられる。

私はエイドリアン・ファンなだけに、ちょっと心境複雑でもある。

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さて、お話しをライブに戻そう つづく〜




2004年10月13日(水) いただけない話と、愛しのシュウクリィム

おい、1974ADじゃないのか?って......本日は、ちょっと寄り道。

昨夜、ジャーナリストだけ招待ベースのコンサートがあった。ネパールにおいて、ネパール語によるポップ・ミュージックを誕生させた、伝説の「某」バンド。民謡そのものの歌詞を、伸びやかなボーカルとエレキギター&ドラムに乗せ、一世を風靡した。その後、メンバーのおやぢ化とともに、ロック色を強めていった。

1974ADじゃないよ。某ネ☆ッ◇ィ□......なんだわ。私にとっては、昔っから、ずーーっと好きだったバンド。「昨夜まで」はね。

某バンド
(写真にはわざと、修正処理を施してあります)

世界中で、そしてネパールでも、ジャーナリストが殺害されたり弾圧されていることに抗議し、亡くなった方たちへの追悼のためだそう。パタン市内の、某文学的インテリ源ちゃんぷんぷん臭う場所が会場であった。

まずは往年のヒット曲メドレーだったが、最近74ADを聞き慣れた耳には「なにこれ?」「これは学祭バンドか?」としか聞こえない。特にギターソロなど、マノージ・ケーシー君のテクが私の耳の「標準」と化してしまった現在.....寂しい限り。

またこのバンドは、メンバーの変動が激しく、過去のボーカルたちは皆、去っていった。現在唯一残っているリーダーA氏は、元々はコーラス・メンバー。その彼が現在のメイン・ボーカル。野太いA氏の声では、懐かしのネパリ・ポップを歌ってもダメなんだよね。悲しいけれど。しかしA氏は、ドルポ地方に題材を取った名曲など生み出しており、それはそれで素晴らしかった。

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さて、このコンサートの隠れた仕掛け人は、ネパールにおける最高にイケてる知識人.....と世間で考えられているカナク・ディクシット氏(敢えて実名)。

このカナク氏、最近「平和を求める市民運動」に力を入れている。どうも、とある先進国の援助を取り付けたらしい。ヨーロッパ諸国は、こういう援助を国がやっちゃったりするんだよね。それはそれでいいんだけど。

で、カナク氏の主催する平和集会は、いつも同じ知識人ばかりが参加している。でその顔ぶれの半分は、彼の親族。または取り巻きだったりする。草の根の参加がない平和集会って?何これ?最近この集団に、某ネ☆ッ◇ィ□も参加している模様。

昨夜も会場で、カナク氏はハッスル、ハッスル状態。「次の曲はね、ネパールの現状を歌う新曲なんだ。今日がそのお披露目でさ。すごくいいから、みんな絶対聞くんだよ」と、仲間内を回って宣伝に余念がない。会場最前列でノリノリで踊っているのは、カナク氏の実妹+ご令嬢だったりもする。

演奏にイマイチ乗れない私たち一団は、会場の外に出てラム&コークなど飲んでいた。なら、さっさと帰ればいいじゃん......なのだけれど、狭いネパール社会で、カナク氏主催のコンサートに不義理をしたりすると、後がタ〜イヘン。

でね。マオ派の云う「人民戦争」において、傷ついたり命を落としたり。大切な人を失う悲劇はネパールに実存するわけで、それを芸術の題材にすることは否定しない。しかしだね、それをビートの効いた音楽にして、インテリ源ちゃんだけ集めて、ガイコクのお金でコンサートして、何になるってぇの?

実にシラケた。

でね、でね。カナク氏の実兄。ネパリ・タイムス発行人のクンダ兄さんは、いつもこういう集まりは「パス」している。さすが、クンダ兄さん。偽善に対する批判だよね。

ってさ。なら、お前も行くな!ってことなんだけど。参加は、する。でも、手放しで何でも褒めたりは、しない。これもヘタレた態度なんだけど。

心に「ロックンロール」がある限り、権威が「これイイ」と云っても、気に入らないものは「私はキライ」だもんね。LED ZEPPELINなど聞きながらだと、ついついこういう文章を書いてしまうのだわ。いやはや.......

それにしてもここしばらく、イシュワル兄貴率いる「ナマステ・バンド」を聞いていない。ナマステはCDで聞くもんじゃなくて、ライブで「こそ」輝くんだよね。あーっ、ナマステ・ライブ。考えるともう禁断症状!な、四十路なわたくし。

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さて、渋い話の後はスイ〜トにね。

愛しの、シュウクリィム本日、パタンの某「ばななきゃっと」カフェ。日替わりデザートが「シュウクリィム」であった。うーーーむ。シュウクリィムとあらば。行かねばならぬ!

私の勤務形態は、朝自宅勤務。10時頃、自宅でダルバート(ネパールの国民食)を食べてから事務所に出勤。午後モモ(カトマンズ風焼売餃子)などの軽食を採り、夜まで勤務。自宅に帰った後、再度ダルバートという、「正しきネパール人の食生活」=1日2食+おやつという生活なのでR。

今日は朝から外出していた亭主が、待てど暮らせど帰ってこない。「これは、今は亡きお祖母ちゃんの、シュウクリィムに行きなさい!つーメッセージだわ」と、ダルバートを食べてから、スクーターでひとり出勤。事務所への途中にある、ばななきゃっとに「するり」と潜入。午前中のデザート・タイムを楽しむ。

実は私、シュウクリィムと聞くと、取り乱してしまうのだ。

私をとても可愛がってくれた、大好きだった明治女のお祖母ちゃんは、「シュウクリィムを日本に伝えたリヨン出身のパティシェと日本女性の間に生まれた」.......訳なんか絶対なく、徳島の片田舎の和菓子やさんの末娘であった。

お祖母ちゃんの実家は、私が子供の頃は「銘菓・池田饅頭」という、その名を聞くだけで味が想像できそうな和菓子だけでなく、洋菓子もお店に並べていた。そんな中にシュウクリィムもあり、心密かに「私は和菓子屋の娘」ということを誇りにしていたお祖母ちゃんが、よく買ってきてくれた。

明治生まれのお祖母ちゃんは、「シオクリィム」と云ってたけどね。

お祖母ちゃんにとって初めての内孫であった私は、妹たちには内緒でこっそり食べさせてくれる「2個目のシュウクリィム」があったりした。シュウクリィム=お祖母ちゃんの想い出な訳である。

今でこそ、おばさん丸出しの私であるが、シュウクリィムをいただく時だけは、心は幼女に戻っているのね。うふ、ふふふ。

☆ネパールではパタンにある、カフェUでも時々「絶品シュウクリィム」が楽しめる。




2004年10月16日(土) 1974ADライブ、熱狂記 その3

1974AD LIVE〜 on 8th October 2004 at Hotel Hyatt, Boudha, Kathmandu, NEPAL
ネパールの「国民的カリスマおやぢバンド」 1974ADのライブ、熱狂報告 その3。

さて、1974AD(以下74ADと略)今回のライブは、ボーダナート・ストゥーパを臨む5つ星ホテル、ハイヤット・リージェンシーのバー・ロックスで行われた。バーの庭であろう芝生の上に、ステージと客席全体を包む大きなテントが張られている。

チケットには「夜8時から」と印刷されており、私と友人は「多分終わるのは夜中だよな」と踏んでいた。そんな時間にボーダから自宅までタクシーで戻るのは、さすがにちょっと心配。亭主に「一緒に行こうよ」と誘ったら、「それはボクに、アッシー君になれって事ぉ?いっそ友だちと2人で、おばさん2人ハイヤットに泊まっちゃえよ」とのお達し。いつもお世話になっている旅行代理店が、素晴らしいレートを提示してくれたので即決。

さて、まずはホテルにチェックインし、わくわく状態で夜8時、会場に移動した。そうしたら、まだ「ちらほら」しか人がいない。はじまるのは8時半だろう.....と、フリードリンクの水割りを舐めて待つ。結局74ADのメンバー5人が姿を見せたのは、1時間遅れの9時であった。

会場には94ADファンや友人も多数訪れており、「やあやあ、ハロー」と挨拶回りをしながら5人がやって来る。私たちにも、「ハーイ、今日も来てくれていたんだね。ありがとう」とのお声をいただく。カトマンズのような狭い社会。しかも、いろんな人と知り合う仕事をしていると、ゲーノーカンケーの皆さんともついつい顔見知りになってしまうんだわ。中には「お知り合いになりたくない」種類の芸能人もいるのだが(特に映画界)、74ADのメンバーはみんな紳士的・知性的なナイスガイなもんで、こちらの顔も緩んでしまう。

1974AD

そんなこんなの雰囲気でライブ開始。1曲目は何と、新アルバムのタイトルソング「ピジャラコ・スガ(篭の中の鸚鵡)」。モクシのライブでは、絶〜対演奏してくれないのに!やっぱり今日は、いつもと違うナンバーが聞けるね!と、期待が確信に変わった一瞬であった。

この曲。イントロにフルート、マノーズ・シンの「嵐のスタカット」とそれに続く「震撼のスラー」奏法が続くのだ。しかし今日も彼の参加はない。それでも、74ADに不可能はない。名前だけ聞くと大変紛らわしい、マノージ・ケーシーの「神の手」により演奏されるエレキ・ギターがフルートを凌駕した。って、やっぱりフルートがあれば良かったけど。

1974AD

その後はまあ、いつものモクシ・ライブより「マノージがギターを振り回してるな」「さすがにエイドリアン、ミュートしてないドラムスはいいな。ブラシでもないし。寝起きファッションは変わらないけど」「ああ、ニラカール兄貴の、インド刺繍の白いシャツがステキぃ」って感じのステージが続く。ボーカル・ギターのフィロージと、エッジの効いたパーカッションのサンジャイは、どこでもあんまり変わらないね。

1974AD

小さな箱で、まろやか系に味付けされた74ADサウンドを聞いていた私には、今回の広い場所でのセッティング.....「音が硬いな」という感じであった。より「ロック!」という音なのだが、74ADも客も大人しい。

ライブ開始後1時間ちょっと。74ADはステージ上、「ぎゅわ〜んっ」って感じで盛り上がりを見せ始め、会場にはちらほら「妙に目つきが鋭い」厳つい系青年が、何だこれ?と目につくようになり、でもって。

「さあ、後半はノリノリで踊ろうゼぃ!ちょっとだけ休憩」

と、リーダー・ニラカール兄貴の妙にきっぱりしたアナウンスとともに、前半戦終了。

30分後にはじまった「怒濤の後半戦は」.....あ゛あ゛ーーっ、すげー (*_*) という嵐の展開を見せるのであったが。 つづく〜




2004年10月19日(火) ダサイン、到来す

とまあ、ネパールの世間一般で云われている「最大のお祭り・ダサイン」である。

この祭りの特徴は、ずばり!まるで日本のお正月みたい.....なのである。ネパールでは、「各民族ごと」のお正月は別に存在するけれど。

ダサインでは実家を離れて暮らしている家族が帰省し、新しい着物を身につけ、年長者から祝福とダチナというお年玉をもらう。もちろん、ご馳走もりもりである。しかしマオ派が実行支配している地域では、都市部から帰省することが躊躇われる昨今。田舎に住む老親が、逆に都市に住む息子の家に行くという「逆帰省」も増えている。

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さて、長男である我が亭主は、子供の時に父親を亡くし、母と一緒に弟・妹たちを育ててきた人である。。自分も大学で勉強しつつ、働いてきょうだいの学費を払ってきた元苦学生+苦労人である。四十路を過ぎて、髪もだいぶん白くなってしまった。

カトマンズで曲がりなりにも一家を築いた亭主は、一族の「家長」さまなのでR。であるからして、ダサインの買い物も私と愚息に対してだけでなく、別の家で暮らしている母、嫁に行った妹、弟、弟の嫁、弟の子供たちの晴れ着を買い込む。また、母に対してご馳走のための食材もプレゼントするのでR。

我が家で咲いた花一昨日、うちに長年務めてくれている家政婦さんへのプレゼントのサリーを買いに亭主と一緒に行ったが、なじみのサリーやさんで結局、上記全ての女性陣のサリーをまとめ買いした我が亭主。サリーやさん、にこにこ。

戦略家である私は、それに先立ち亭主の衣類を、「私の財布から」まとめ買いしてプレゼントしていた。であるからして、亭主は「お返しだよ」と、刺繍を施したシフォンのサリーを、私にも買ってくれたんだな。お母さんへのサリーより、私へのサリーはいつも「ほんの少し」高価なものを買ってくれる亭主。うーーむ。こーゆー心遣いがすごいんだよなぁ。で、そーゆーことをしてくれると、私としても「お母さんには晴れ着だけじゃなくて、コットンの普段着サリーも買っちゃおうよ!」と提案したくなる。

愚息の衣類は、1ヶ月前ベネトンのバーゲンセールで買ってあるし。ダサインの買い物は完了。でもって昨日、全寮制の学校から愚息が「お祭り休暇」で帰ってきた。1ヶ月ぶりに見るヤツは、ちょっと逞しくなった感じ。親バカか?

カトマンズの秋を彩る「菊」の花が、我が家の庭で咲き出した。ブーゲンビリアと一緒に、自己流免許皆伝、活け花もどき (^_^;)

このご時世、ちゃんとダサインが祝えることって、大変ありがたいことだと思う。感謝の気持ち。ありがとう、ありがとう。




2004年10月22日(金) 1974ADライブ、熱狂記 その4

1974AD LIVE〜 on 8th October 2004 at Hotel Hyatt, Boudha, Kathmandu, NEPAL
ネパールの「国民的カリスマおやぢバンド」 1974ADのライブ、熱狂報告 その4。

1974AD

1974AD

1974AD的夜明け




2004年10月28日(木) 布団が恋しい季節、到来

突然ですが、パタン郊外にて冬眠中の「カエル」です。

冬眠中〜ZZzzzzz

はははっ (^_^;)

肌寒くなると、ネパール人は帽子をかぶって眠ります。頭が冷えるとダメなんだそうです。先日、日本からのおみやげで「カエルの着ぐるみ帽子」をいただきまして、これがまた中綿で暖かい。今朝起きてみると、我が亭主が「カエル君」になっていました。起こさないように、そーーっと撮った写真です。

ネパールでは「ダサイン大祭」が終わり、昼間は暑くなく寒くない気候です。しかし朝晩は、ぞくっ!と冷え込みます。昨日は夜中にメイルを書く用事があり、思わぬ寒さに「電気ストーブ使いはじめ」をしてしまいました。

引っ越して、吹き抜けのある家に住むようになり、今年の冬は灯油より暖房能力の高い(プロパンガスを使う)ガスストーブを買わないと、耐えられそうにありません。

と、つらつら考えつつ、新潟中越地震被災者のみなさまのご苦労を想っています。また、奇跡的に救われた小さな命。ご無念であったであろう、助からなかった命のことも。また、ご自身も二次災害の危険の中献身的に救助にあたられた、レスキュー隊員のみなさまに頭が下がります。

温かく布団にくるまって、安心して眠れること。日本でもネパールでも、大変有り難いことなのですよね。生きている......生かされていることに、感謝です。でもこうして「言葉」にしてしまうと、軽くなってしまいます。

想うこと。願うこと。祈ること......こそが、大切なのですよね。




2004年10月31日(日) 今年も残り2ヶ月となりまして

10月も今日でおしまいですね。西暦2004年も、残り2ヶ月です。ネパール(政府)的には、ヴィクラム暦2061年残り5ヶ月半です。

デウバ政権ですが、マオ派との停戦〜和平交渉が実現せずとも、ヴ暦2061年中に=西暦2005年4月中旬までに、国会下院選挙を実施すると息巻いています。

2002年10月、同じ選挙を「実施する能力がない=無能」だと国王から厳しい指摘を受け、更迭されたデウバ首相です。この時同時に、国王が国歌の全権を掌握する.....という、後年の歴史によって評価されるべき、ネパール国家の分岐点を招いてしまった首相です。そして再び、「ヴ暦2061年中に選挙を実施するため」国王から任命された首相たるデウバさん。もし選挙に漕ぎ着けなかった場合、再度の「無能の烙印」を押されてしまうでしょう。いやはや......マオ派との衝突が続く中、本当に選挙が出来るんでしょうか?うむむむむむむっ。

ネパールの私立学校では、2回落第をすると「退学」です。デウバさんも大変です。

現在の状況は、みんなで「ボタンをかけ間違った」ものであります。どの勢力「だけ」が悪いわけでなく、みんなの責任ですね。しかしこのままでは、ネパールというかけがえのない洋服が破れてしまいます。

本来、良い国なんですけどねぇ。ネパールって。はぁ〜っと、タ・メ・イ・キ。

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本日から1週間、ちょっとバタバタします。サイト更新、掲示板のレスが遅くなりますが、ご容赦下さいませ。 管理人軽薄......じゃなくて、敬白。