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2004年 1月 1日(木) 年頭にひと吼え

とまぁ、ネパールでは「平日」プス月17日である。西暦とは全然違う、ヴィクラム暦を公式とする国なんだな。ネパール。

ヒンドゥー教を国教とし、世界に唯一のヒンドゥー国王のいる国。1990年に発布された「民主憲法」に高らかに謳われている。

ははははは.....これって、インチキな民主憲法じゃん。

だいたい、ヒンドゥー教というのはカースト制を容認する宗教である。国王を頂点に、宗教的に人間を区別することを「是」としている宗教である。また、国会の議決に対する拒否権を保証された、軍事的パワーを持った、特定の宗教を具現化した国王って、文化宗教政治による階級区別の権化じゃねーかい?

他の条文で信仰の自由を保証し、差別の撤廃を書き連ねてもダメだよね。

ネパールで云う「民主主義」は、王様万歳!という基盤に立つものである。西欧型民主主義とは、言葉は一緒でも中身は違う。そう表明すべきじゃなかったのかな?

ネパールの民主化は、国の基本たる「憲法」からして「ぶれぶれ」であった。うまく事が進まなくて当然。

ははははは。こんな事、過去の空の下冒頭になんて書けなかった。でも、これからは書く。きっぱり!だって「日記」だも〜ん♪

ぶいぶいぶい〜




2004年 1月 3日(土) サリー道楽

2004年の仕事始めであった。カトマンズ市内某所にて、インタビュー取材。

クライエントのTさん(女性)も同行くださった。で、彼女と私、着ていたフリースジャケットをお互いに指さし「あ゛ーーっ」。なんと、お揃いであった。

最近はタメルに、ネパール製パチモンではない本物のノースフェイス・ウェアを売るお店が出来た。それ以前から、エベレストの麓ナムチェ・バザールに、アメリカに行って仕入れてきたアウトレットのブランド・アウトドアウェアを売る店があった。

ナムチェに行くといつも立ち寄り、フリースや防寒下着を買うのが楽しみ。日本で買うよりずっと安いしね。そこで5年前に買ったLL Beanのフリース。街で、トレッキングで酷使しているがまだまだ現役。

彼女の着ていたものも、どうもそのナムチェの店からやってきたジャケットみたいで、いやはやビクーリする。

さて、仕事に出向いた先のお隣さん。遠征登山の仕切りではぷち有名な会社。その会社のオーナーは、前述ナムチェのお店オーナーの義理の兄さん。ははははは。

ところで、タメルに出来た「本物ノースフェイス」の店は、ナムチェより更に安い。

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仕事が終わった後の雑談。Tさんが「良いサリー屋を見つけた」とのこと。

実はTさん、サリー・クィーンのNさん、不詳わたくしという、カトマンズ・サリー・コネクション御用達のお店があったのだが、そこが突然店じまいをしてしまった。そしてここ2年ほど、私はサリーを買うこともなかった。しかし先日、クィーンNさんがそのお店の移転先を発見したとのこと。こりゃ、行くしかないだわ。

カトマンズハヌマンドカ王宮からインドラ・チョークの間のマカン・トール。この表から一歩入った所に、外観はひっそりとサリー屋がある。しかし中は3階すべてサリー。卸売りも小売りもする。

お店のご主人はインド人で、「おお〜っ、姉さん久しぶり」と私のことを覚えていてくれた。まずは目の保養に、一番すごいのを見せてもらう。南インド、カンチプラムのシルク・サリー。お値段、なんと4万ルピー以上。日本円換算6万円以上。

どひゃ〜。先日オーダした3組洋服ダンスセットより高い!

以前カトマンズでは、どんなに高価でも1万〜1万5千ルピーがサリーの上限だった。それ以上の品となると、インドに買いに行かなきゃならなかった。いやはや、カトマンズにも贅沢品が流入するようになったね。

上を見ればきりがないけど、このお店なら日本円で1万円程度のパーティー・サリーを買えば、10年くらいは余裕で着られる。着物で云うと、留め袖・訪問着クラスの格となる。同額のスーツやクルタなら、2〜3年くらいだよね、着られるの。だから、サリーというのは実は「お得」なのだ。ガイジンである私が、サリーを着ていると、口うるさい「ネパール人マダム軍団」もにこにこしてくれるしね。社会的「防護服」でもある。

Tさんのお見立てだけのつもりで行ったけれど、ついつい、ネイビーブルーの地に刺繍の入ったサリーを買ってしまった。ブラウス、ペチコートなどの布代含め、1950ルピーなり。邦貨約3千円。夜のお呼ばれ用ではないけれど、昼間のパーティなら充分に着られるものである。

早速、いつもの仕立屋さんにブラウスとペチコートも注文した。年の初めに新しいおべべっちゅーのも、まぁ、縁起物だよね。

と、亭主に対して云い訳はじめ (^_^;)




2004年 1月 5日(月) 家具屋と大家と、ネパール人の尊厳

昨年末から、この日記をお騒がせしている「バグバザールの家具屋」。

カトマンズ盆地の伝統なのか、「出来ること」と「出来ないこと」をはっきり云わないところがまた困る。最初からこの納期では出来ません!とか、このデザインは出来ません.....と云えばいいものを。結局出来ずに、客を困らせるんだから。

で、お金は取るんだよね。ちゃんと。客に迷惑をかけてもね。

カトマンズという場所は、中世都市文明が栄えた伝統ある場所。そーゆー文化では、明確なる否定、クリアーな契約という考え方自体が「伝統的に」揺らいでいる。その分、云い訳は堪能。嗚呼、いい加減にしてくれ。

カトマンズに外から入ってきた文化の方が、まだ分かり易い。と思うのは、自分自身が外国(私の場合日本)とパルバテ(山地のヒンドゥー文化)という、カトマンズにとっての2大外来文化に属しているからだろうか?

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さて、都市に住むネパール人の家庭になくてはならない家具は何か?

ソファセットとダイニングセットであ〜る。「ワシらはハイカラじゃけんね」という、ネパール人の「尊厳」に関わる家具らしい。

土間に敷いた敷物座って、土間に置いた皿から食べるっちゅーのはイナカモン。ワシらは、ガイジンみたいにテーブルで食事するもんね。客が来たらソファに座らせるけんね。どーだ、文化的じゃろう!と。

こーゆー文化のルーツは、ラナ将軍家。ヨーロッパの生活様式を持ち込んだ。

で、借家アパート暮らしの我が家には、この2つがなかった。必要なかったから。その代わり、日本式のちゃぶ台があった。

しかし、齢四十の声を聞いた我が亭主。今度の引っ越しではどーしても、ソファとダイニングがなきゃイヤ!と。でもって、これら「尊厳系家具(?)」は、バグバザールで買うのはイヤ!だと。もっと立派に見えるものがほしいらしい。

対して私は、立派に見えるものより、ユニークに見えて使い勝手の良いものが好き。しかも予算の限度があり、家に見合わない立派な家具も趣味が悪いと思う。

パタン市のクプンドールに、アカルシャンという鉄製家具の店がある。鉄製のフレームに強化ガラスを乗せたテーブル。鉄製のフレームに布やレザーのクッションを組み合わせたソファや椅子。なかなかしゃれていて、しかも価格は特別凶暴でない。何より、ユニーク。使い心地も悪くない。

そして、話が通じるんだな。仕事迅速。連絡てきぱき。

豪華ではないがセンスいいじゃん!というラインアップに、我が亭主も納得。話の通じるマネージャー氏に、私も満足。注文した家具の出来上がりが楽しみだ。

家具屋とのバトルは、1勝1敗.....ちゅーところか。

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さて、現在のアパート1月末退出について、大家との話し合いをした。

6年間、大家との人間関係トラブルほぼゼロであったが、退出時にはいろいろあるかな〜と身構えていた。電話回線を大家から借りていて、国際通話のための保証金について「返す返さない」。また「出て行くなら壁を塗り替える金を出せ」とか。

過去の大家とは、いろいろあったからね。壮絶バトル。

しかし、現在の大家との話し合いは、非常に友好的結論となった。店子としては文句のつけようがない。いやはや、よかった。

大家はインド系ネパール人である。公認会計士であり、お金の支払いには厳しい。しかし、払うものをちゃんとしていれば、理不尽なクレームはつけない人。店子の生活にも干渉しないしね。大家夫人や子供たちは、非常に親しむべき人柄。

カトマンズ市内、ニューバネソール地区ミンバワン。ホテル・サンセットビューの近くである。日常生活の買い物も便利な場所。2LDK+ファミリールーム+住み込みサーバントが居住できる一角。バス・トイレは2つあり、そのうち1つは主寝室にある。

上の階に大家が住み、治安管理も悪くない。専用電話回線も使える。豪華な新築アパートとは違うが、シンプルなガイジン・ライフには充分。

2月以降、もしアパートを探している人がいたら、推薦できる物件である。大家と直接、ネパール語または英語で交渉できる方......っちゅ〜条件は付くけれど。




2004年 1月 6日(火) 絶対的危険、相対的危険

今年の年末年始、地方の幹線道路でのゼネスト、通行止めなどあったが、大きな混乱なく終わったようだ。日本人の皆さんも、多少の予定変更はあっても、それ以上に楽しい思い出を胸に、ご帰国されたものと思う。いや、そう願いたい。

さて、旅行シーズンが来るたびに

「ネパールは安全なのか?危険なのか?」

という話題が、ネパール関連サイトでやりとりされている。貴重な休暇、時間とお金を使って旅するなら、やはり安全な行き先で旅を満喫したいのは当然。

確かにネパールには、反政府武装組織が存在する。数多くのネパール人が命を落としている。一説によると、1996年以降政府・反政府・市民併せて8,000人以上の人命が失われているそうである。外国人の死者は「ゼロ」だという事実もある。

何が危険なのか?重大な治安問題が起これば、カトマンズ市内であっても厳重な検問が行われる。国軍による場合、速攻で事態に対処できるべく、引き金に指をかけた兵士が検問場所を守っていたりして非常に気味が悪い。

過去、カトマンズが非常に緊張していた時期、仕事で政府庁舎から出てきたところを国軍兵士によって検問されたことがある。自動小銃の銃口は、私の腹部に向いていた。背中を汗が伝った。日本では「出来ない」経験だったな。いや、こんなこと「しなくて良い」経験なのだけれど。

しかし現在、カトマンズ市内の治安維持は、あっけないほどに緩い。時々、防弾チョッキとヘルメット、銃器で完全武装した兵士や武装警察隊がパトロールしていたりするが、風景として見慣れてしまった。銃口を市民に向けたりすることも、普段はもうない。夜間道路での検問も、非常に少なくなった。

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日本の治安が悪化しているそうである。普通の市民生活の中で、駅で、道路で、いきなり襲われる恐怖があると云う。

また現在の国際情勢では、常に危険と隣り合わせの生活を強いられている国や地域がある。日本だって、国際テロ組織のターゲットになる可能性がゼロではない。

普通の顔をしていて、いきなり襲いかかる「キレる」市民と、銃を構えたネパール兵士と、どちらがより危険な存在であろうか?心の準備なく危機に巻き込まれるのと、普段から身の安全に注意して暮らすのでは、どちらがより安全であろうか?

もう一つ云えば、場合によっては無差別殺戮をいとわない国際テロ集団と、今までのところ「ガイジンには手出ししません」と宣言しているマオバディと、どちらがより出会いたくない相手なのだろうか。

「絶対的」な安全は、21世紀の地球に存在を許されていないようである。ここにあるのは、「相対的」危険であり安全でしかない。その価値判断をするのは、あなた。

政府・反政府の衝突の現場は、どう考えても危険である。そんな場所、ガイジンが行くべきではない。ついさっきまで安全と考えられていた場所で、突然衝突が始まることもある。これはもう、運。

日本で起こった地下鉄サリン事件。大地震。通り魔犯罪。悲しすぎる出来事が、日本国内でもいっぱいあったじゃないか。しかしみんな、家に閉じこもってはいられない。もっと云うなら交通事故。毎年大変な数の方が亡くなっている。しかし、あなたもハンドルを握り続けているでしょう。

確率論で云えば、ネパールで普通の旅行をするより、日本で車に乗っている方がずっと危険ではないかな?

最後は、人生観......と云ったら、極論が過ぎるだろうか?




2004年 1月 6日(火) しばらく、治安の話は書きません

とまぁ上記の日記は、昨年から繰り返し書いてきた内容の蒸し返し。自分で書いたものを読んで、自分で気分が悪くなる。完全なる自家中毒。

つーわけで、しばらくこの手の事は書きません。私の得意とする「アホネタ」路線を、驀進・邁進いたします。家具屋とのバトル、そして迫り来る引っ越し....と、ネタは豊富に転がっている筈。

苦労や怒りを、ネタとして昇華させる。って、昇華って云うほど純化しませんけどね。




2004年 1月 9日(金) 無謀運転と信仰の問題

カトマンズで、タクシーに乗る。かなりの確率で、無謀運転である。

ネパールは日本と同じく、車は左側を走る。で、実に多くのタクシーは、左側の斜線から追い越しをする。その後、右側車線を走る車の前に回り込んだりするのもいる。どうして事故が起こらないのか、乗っていて不思議なくらい。

「こーゆー運転は、本来してはならない」という、観念がないんだろうね。タクシーに限らず、マイカー運転も無謀。ただし、無茶をする頻度が低いだけ。

昼間は車が多く、スピードが出せないので、大きな事故も少ない。しかし夜など、道路が空いている時は本当に恐ろしい。カトマンズの車もバイクも、下向きライトで走るという常識がない。バスやトラックなど、強力なビームライトを搭載している。こんな対向車が来ると、道路を横断しようとする歩行者や、ふらふら車道を走る自転車なんて全然、全然見えなくなる。

夜事務所から自宅に戻るとき、亭主運転の助手席に座る。亭主の運転の上手下手以前に、カトマンズ深夜の道路状況事態が恐ろしい。しかし私が表情にそれを出すと、亭主の機嫌が悪いときは癇癪玉が飛んでくる。曰く

「オレノ ウンテンガ コワイノカ!オレヲ シンジテ イナイノカ!!」

ネパール人に限らず、運転というものは「男の尊厳」に関わるものらしい。自分で運転するスクーターが、私としては一番安全に思える。亭主の仕事が終わらないときは「ああスクーターで帰るの。そりゃ助かるわ。行け行け」なんだけど、同じ頃仕事が終わるなら「ナゼ オレガウンテンスル クルマニノラナイノダ」となる。

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釈迦生誕像こういう生活を送っていると、神仏にでもすがらねば生きていけない。

私は日本の仏教徒、真言宗の家庭に生まれ育った。また当然のごとく、家に神棚もあった。

ネパールでヒンドゥー教徒に囲まれて暮らす今、仏教という存在は微妙である。ヒンドゥー教徒は「ブッダもヴィシュヌの化身。ヒンドゥーも仏教も同じ宗教」と云う。しかし私にとっては

「ゼンゼン ベツノ シュウキョウダ。オイコラ イッショニスンナ」

の世界である。だいたいヒンドゥーなんて、ヒンドゥー教を信仰する家庭に生まれない限りヒンドゥー教徒として認められない。ヒンドゥー教徒と結婚した私は、異教徒立ち入り禁止のヒンドゥー寺院に入れない。

信仰心があれば入信できるイスラム教の方が寛容である。って、心に思うことを普通のネパール人に云ってご覧なさい。120%激怒される。八百万の神を信仰するヒンドゥー教徒は、一神教に対しては極度の警戒感と嫌悪感を心に秘めている。

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私はヒンドゥー教に興味と尊敬を抱く人間である。が、こーゆー「根元的人間差別」をする宗教を、自己の信仰として受け入れることは出来ない。そして、仏教「なんて」ヒンドゥーの一部.....という、ヒンドゥー教徒の思い上がりも許せない。

釈尊の教えをひもとけば、2つの宗教観の違いは明白である。ヒンドゥーのある派は非暴力であり、またある一派は生け贄の血が不可欠......と、ヒンドゥーという宗教自体、相容れないコンセプトを内包するのである。仏教との「違い」に気づかなくても当然かぁ〜、というと、宗教専門家のみなさまに怒られるだろうか。

ヒンドゥー教の世界観、宗教観で、仏教を語ったり理解したふりをするのはやめてもらいたい。せめて、仏教のもつヒンドゥーとの違いを認めてほしい。

他の宗教を「知ること」、自分の宗教との違いを「認めること」って、最初の敬意じゃないかな。そのプロセスなしに、他の宗教を尊重することは出来ないはず。

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ネパール人は信仰深いと云うけれど、宗教の本質を理解して信仰する人は実に少ない。ただ「習慣」として、プジャをしたり宗教儀礼を行うのだ。そこに「人間としての善なる願い」はあるが、深い洞察は感じられない。

これは例えば、ネパールの民主政治や民主憲法にも云えること。民主政治や憲法が大切!と云うけれど、じゃあその深い内容については、議論されることが少ない。だから、マオバディという異分子に引っかき回されているんじゃないかな。

何百年も、宗教的対立のなかったネパール。しかしこのような、脆弱な宗教理解の上に立つ社会は、一時波風が立ったら崩れるのも早いのではないだろうか。頑迷なる信仰心だけは厚い社会なので、よけいにタチが悪い。

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嗚呼、ネパール人に侵害されない、確固たる信仰がほしい。

中途半端に理解される仏教より、いっそ神道の方が良いかしら?そんな風に神様のことを考えたら、罰が当たるかしらん?

な〜んて考えつつ、今朝も無謀運転タクシーに乗った。




2004年 1月11日(日) みんな「来てる」んだよな

宗教に関する事を書いたら、掲示板に「来てる」書き込みがあった。この書き込みの後ろには、カキコはせずとも共感してくださっている方たちがいると信じる。

ネパール人との結婚をしている日本人......と、間口を狭めれば、宗教に関する問題と、日本的には「あり得ない」思考と行動の家族・親戚問題は、永遠の定番。旅行で来て、いい顔をして、ではまたね!と、人生からネパールを断線できるなら、きれいごとで切り抜けられる。

しかし、生活でネパールと関わるというのは、塩辛い。例え舞台がネパールであれ、日本であれ。しかも、そんな人生を、回りの反対と心配を押し切って選択したのは、あなた自身。私自身。

あ゛ーーーっ、自分のバカぁ〜と、悶絶なのだ。




2004年 1月16日(金) 笑っちゃダメだけど、笑っちゃう話

とまぁ、しばらく村に行ってきた。この報告は.....空の下以外の場所で、私ではない方からあるのであ〜る。

さて、留守中に貯まっていたメイルを受信。その中でこーゆーのがあった。

「はじめまして。私は日本の☆○◇◎という者ですが、★▲◆▼のために、親の反対を押し切ってネパールに嫁いだ日本人妻を紹介いただけませんでしょうか?」

詳しく書くのは控えるが、日本のとあるマスコミ関係者から。で、このような「国際的家族の問題」を題材にしたいんだそうだ。はあ〜、ドキュメンタリーのように作るバラエティーだろうね。メイルの文面から、そんなニオイがした。

まあ、勝手にやってくだされ。私は知らん.......

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これはもうずいぶん前の話だから、詳しく書く。同様に見ず知らずの、民放テレビの番組制作会社から突然のメイル。

曰く、異国で奮闘する女性を紹介する番組を作りたい。しかも出来れば貧乏で、大変な思いをしている日本人女性が望ましい。ついては、アナタガ、ピッタリダ!

あははははは......大笑い。見ず知らずの人に、アンタのビンボーを世間に晒したいから協力しちくりぃ〜って、メイルで書けるのってすごいよね。しかも文章全体が、絵に描いたような幼稚+軽薄。あなた、そーゆー失礼は通用しないわよ!と返信したら早速、上司という人から「うちのアシスタントが失礼しました」というお詫びメイルが届いた。

世の中には、ノンフィクション、ドキュメンタリーと銘打った「バラエティー番組」がごろごろしている。そーゆーのに関わるほど、私は軽くないんだけどね。

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プリントであれ映像であれ、取材が入ると云うこと自体、取材対象者にとっては日常とは大きく違う事態となる。

しかしそんな中で、対象者や対象とする社会の、光と陰を描きたい。光と陰の真実・本質に触れたい。人間の素晴らしさを感じたい。

そして日本の、ネパールのことを全然知らない人にも分かり易く、伝えたい。

私はネパールの様々な事象を、日本に伝えるために生きている人間。そのために、得難いチャンス・本職を与えられている幸福な人間。だからこそ、時に自分のキャパを超えたチャレンジも背負い込んで、悪戦苦闘もする。それも楽しい。

空の下でのネット発信も、個人的趣味としての生き様。

そーゆー事ぐらい、読み取ってほしいんだけどね。特にマスコミ関係者にはね。

私は仕事の上で、大変に恵まれた環境にいること。素晴らしい出会いに囲まれていること。日本でもネパールでも。そんなこともまた、噛み締めている。




2004年 1月17日(土) 家具屋でバトル、疑惑編

この日記に時々登場する、カトマンズ市内バグバザールの家具屋。カトマンズに帰着早々、またまたのバトル。

注文していた洋服ダンスが出来上がったというので、最終チェックに行った。全身が映る鏡を取り付けて.......が、半身だけしか映らないものになっていた以外、注文通りであった。この件については、家具屋の▼★なマネージャー氏、こっちの方が良いんだと主張して譲らない。

金を出すのは客。使うのも客。しかしネパールでは、そーゆー常識を受け入れない、ハードな文化がある。ちゃんと分かってくれる家具屋もあるが、そーゆーレベルになると予算も2倍くらいかかっちゃう。

ネパール人とだけつきあっている業者の場合、ガイジンのライフスタイルとか主張は理解してくれないことが多い。予算が限られている場合、妥協も必要。

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もう一つ注文していたドレッサーは?と聞くと、タンスを据え付けてからでないと作れない......と、変なことを云う。ははん、お金のことだな。と、じゃあ、タンスの代金を払うから鏡台も作ってくれ.......と云っても、もごもご云うばかり。

そんなやりとりをしていると、家具屋の主人がやってきた。この主人は亭主の知り合い。家具屋主人曰く、代金は一括後払いで、ドレッサーも作るようにマネージャーに云ってあるとのこと。マネージャーは気まずそうな顔をして逃げていった。

ははん。ヤツは金のことで主人を誤魔化している。と、ピンときた。

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夜、亭主とミーティング。ドレッサーについてはキャンセルしよう。あのマネージャーは信用できない。そしてきっと、注文通りのものは作れない。

ヤツにこれ以上仕事を任せると、良くないことが起こるよ。出来上がったタンスのお金をさっさと支払い、据え付けてもらおう。これ以上ヤツと関わるのはやめよう。

と、私の「感」は当たるんだな。ネパールという異文化ジャングルで、ガイジンという野生動物が、生き抜く中で身につけた感覚なんだな、これ。

家具には鍵も付いていて(ネパールは何でも鍵かけ文化)、鍵は家具屋が取り付ける。考え出すと、オソロシイこともある。信用できないヤツは、「切る」に限る。

時には冷血になること、必要だ。




2004年 1月19日(月) 家具屋でバトル、もうすぐ完結編

例の家具屋に、ドレッサーのキャンセルを告げに行く。こーゆー時は、亭主は行かない。相手がネパール人であれ日本人であれ、良くないことを云いに行くのは私の仕事.......怒。

私を心底激怒させたマネージャーはおらず、亭主の友達である主人夫婦が話を聞いてくれた。マネージャー氏は現在自宅を新築中で、最近ちとおかしいのだそうだ。この店で18年間働いてきたのに.....まぁ.....はぁ〜っと。

でもって主人も、現在身内との裁判の真っ最中で、なかなか客の対応が出来ないとのこと。あれあれ。

「骨肉の争いで取り合う財産があるって、あなたはラッキーな人ですね」

と、変ななぐさめを云ったら、力無く笑っていた。バーロー、うちなんて、手ぶらで村から出てきた亭主と、リュックしょって日本からやって来た私なんだぞ。カトマンズに先祖からの財産がある連中は......と、以下自粛。

話の通じる主人夫婦と「タメイキのおともだち」となり、今週の家具据え付けには、主人自身が立ち会ってくれることを約束して、家具屋を後にした。

ネパール人とケンカすることを恐れていては、何も出来ない。でも最後には、恩讐を超えた和みに落とすのも大切。

だって、私はここでは、ニホンジンつー「少数民族」だも〜ん!




2004年 1月20日(火) ぷちリフレッシュ

最近、亭主と共に「人生ここが頑張り時」な毎日。充実感もあるが、疲れもする。

そんな中でもやるべき業務はあって、昨日ひとつ完了。引き続き、2月いっぱい続く仕事に取りかかる。とにかく、3月の声を聞くまでは元気でいないとダメだ。だから毎日、ヨーガで身体をほぐす。

しかし昨日は、体の芯から「もうダメ信号」が出た。ヨーガを終えた後、タメルに出来た「タイ式フットマッサージ」に足が向いた。

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途中、某有力政治家のブレーンであるB兄さんとばったり。この御仁、白髪+真っ白な口ひげあごひげで、常に笑顔満点。多分50代だろうが、年齢不詳。不思議な人だが、人間的魅力むんむん。亭主も私も、大好きなB兄さん。

でこの兄さん、いつも会うと「ハグ(西洋式抱擁)」で挨拶。私はネパール文化の中で生きているから、ハグはまずやらない。うちの亭主も、ババアとはいえ、自分のおかあちゃん(=私)にハグしてくる男は絶対に許さない。

が、B兄さんだけは例外なんだな。私たち夫婦にとって、特別な先輩。気兼ねなくタメルの真ん中で、路上ハグハグ。近況を話したりして、元気をもらった。

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さてその後、フットマッサージ。タイから輸入したというマッサージチェアに身体を沈め、たっぷり1時間、足の裏から膝まで揉んでもらう。お湯につけてくれたり、オイルを使ってくれたりしつつ、非常に丁寧に揉んでくれる。ありがたいことだ。

あ゛あ゛、バンコクに行ったみたい。途中、爆睡す。

400ルピーなりの代金なので、気軽には行けない。でも、疲労困憊して病気になるよりずっと安上がり。たまにはイイカ。次回は亭主と一緒に来よう。

伝統的には、他人の身体、特に「足」に触れるのは身分の上下と直結していた。しかし昨今、ネパールの若者たちが「マッサージ」という技能を身につけ、誇りを持って仕事に取り組む姿をここそこで見かける。カトマンズ市内には、日本式あんまセンターもいくつかある。

ありがたく、また頼もしい若者たち。

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タメルからの帰り道、マイ足取りは、自分でもびっくりするほど軽かった。




2004年 1月21日(水) 誰の目に触れるか分からない

とまぁ、掲示板がIPアドレス表示になったりした。

ある方から「IPアドレス表示って何?」という疑問をいただいた。IPアドレスを表示すると、書き込みをした人がどこからどのプロバイダーを通じて書き込みをしているか分かるのである。そのままで「個人」の特定は出来ないが、場合によっては個人までたどり着くことも不可能ではない。

掲示板では節度ある匿名性で、活発な議論をしたいものだ。しかし時に、そういう理想論が危うくなることもある。ネパールの空の下管理人=私は、ネット・トラブルは未然に防ぎたいと考えている。

その上で、尽くす議論は尽くしたいと思う。

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さて、ええーっ!と思う。ありがたくって、私など正座してしまう....ような方がまでが、このサイトを見てくださっている。

ありがたく、恐縮で、身が引き締まる。

空の下がここまで続けられたのは、みなさま、そしてあなたのおかげ。

ネパール者の社会は狭く、そして、そこかしこでリンクしている。私が、あなたが、みんなが書いたものが、意外な人の目に触れているんだな。そこのところは、充分に留意していきたいと思う。

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最近熱心にサイトを見てくれている、とある人のコメントが恐怖でありうれしい。それは誰か?ズバリ、日本にいる実家の父である。

父は理系論理的な人間。なぜこういうきちんとした父から、こーゆー、いーかげんな娘が生まれて育ったのか、自分で不思議になるくらい。70歳直前から始めたネットで、愚娘である私のサイトを毎日チェックしてくれている。

ネパールの政治のこととか、最近の宗教の話題など、きっと「はらはら」しながら読んでくれていることと思う。しかし、止めろ!とストップをかけたりはしない父。

本当にありがたい。




2004年 1月22日(木) 春来る

ネパール公式暦の上では、来週月曜日から「春」となる。

それに先立ち、昨夜雨が降った。乾燥した冬に、建物に、木々に積もった埃の臭いがする雨であった。

今日はどんより曇り空。ぽかぽかとした日が差さない。それでも、数日前までの空気のような、切れるような厳しさがない。

この時期、一雨ごとに季節が変わってゆく。冬から春へのグラデーション。

カトマンズ盆地に、春来る........




2004年 1月23日(金) 安全装置は疲弊中

日本では「何でもないこと」が、ネパールでは「大変なこと」、いっぱいある。

納期通りに仕事を仕上げてもらうこと、大変に厳しい。注文した通りに完成してもらうこと、非常に厳しい。厳しい環境の中、日本人では出来ないような仕事をしてくれるのではあるが......ツメが甘すぎる。というか、ネパールでは「予定」と「仕上げ」って観念が、日本のレベルで考えると、ほぼ存在しない。

ただね、分かるんだよね。現場で仕事をする職人さんたちの心に、深い深い恨みと諦めがあるって事。職人さんたちは仕事をするばかりで、自分が作り上げている種類の「物」を、自分の実生活で使うことは非常に少ない。

美味しい部分は、職人さんの元締めが独占。現場の人たちは、低賃金で厳しい労働を強いられることになる。そんな状況では、やってられないさ。

元締めは裕福なインド人だったりネパール人だったりするが、汗を流して手を汚して働いてくれるのは、インド(特にビハール州からの人が多い)からの出稼ぎ兄さん・父さんたち。見ていて心が痛む。

でもね、職人さんたちに優しく接すると、なめられて仕事をしてくれないんだよな。時にネパール語、ヒンディー語を駆使して叱責しないと、仕事が進まない。こちらは時間も限られ、しかもお金を払っているんだから、100% ヒューマニズムに流される訳にも行かない。

インドからの出稼ぎ職人さんたちを使って、手広く仕事をしている、とあるネパール人紳士が教えてくれた。

「あの人たちにはね、ちゃんとやらないと日当払わないゾ!と、脅さないとね、何にも仕事にならないんですよ。はっはっは.....」

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例えばうちの亭主の会社が、日本からの仕事を受けることがある。

亭主のする仕事。仕上げとツメは、カトマンズの同業他社と比べて、格段に高いモノがある。しかし、納期管理は甘い。本人は急いでいても、一緒に仕事をする他人さまの中に、「遅筆堂井上ひさし」みたいな人がいたりするとアウトだもんね。

そういう時、ニホンジンの面の皮を下げている私は、大変に心苦しい。

だから、私が「絡むべき」仕事は、最初から最後まで120%口を挟む。どんなに亭主に嫌われようと、現場も仕切る。だって、私を信頼して任せてくださるお客様のこと、裏切りたくないもの。がっかりさせたくないもの。

反面中には、私が絡む必要「全然ナシ」の仕事もあり、そーゆー時は、絶対客先に顔を出したくない。だって、元来亭主の会社が責任保つべきことだもの。

それでも、「ミキさんも打ち合わせには来てくれますよねぇ」なんて云われてしまう。そりゃそーだわ。私だってクライエントなら、注文先業者の家族に「安全装置としての日本人」がいたら、絶対カマしちゃうと思う。それは当然のこと。

嗚呼、でもね。最近壊れかけてるんだわ。ニホンジン安全装置。しかも来る2月には、安全装置フル活動なもんで、現在メンテ中。密閉型ヘッドフォンで、ダライ・ラマ14世猊下のお説教を聞いたりする日々が続いている。

タマ〜に、私だけで仕切れる仕事をする時は、心がずっと軽い。すごく、すんごく楽しい。でも、そんな仕事は非常に少ない。

日本のことは日本で完結する。ネパールの事もネパールだけでまかなう。それが精神衛生に良いな。日本のことをネパールでやろうとする.....って、出発点自体に、私の人生の「敗因」がある。

分かっちゃいるけどやめられない。と、スーダラ節が心の友さ。




2004年 1月27日(火) 引っ越しは続く.....

昨日はシュリ・パンチャミー。学問の女神、サラスワティーを祭る日。またこの日はバサンタ(春)・パンチャミーとも云われ、ネパール版「立春」である。

この日、結婚式、入門式、新規開店など、目出度いこと全般を行うのに非常によい日と信じられており、街の至る所でどんちゃか祝い事。

で、我が家もこの日を期して引っ越しをした。

しかし......水道の給水工事中で、まだ水は出ない。水はある。でもそれが屋内の蛇口から出ないってこと。ははははは。だから台所は移せなかった。とにかく私たちの寝室だけ引っ越しして、食事は前のアパートに食べに行くという図式。

新居で迎えた朝、早起きして1月末までキープしているアパートに行き、シャワーを浴びて出勤。とほほほほほ。

今週中には水もお湯も出る予定......って、そーじゃないと困るんだよな。